すがわらのきよきみ【菅原清公】
[770〜842]平安初期の学者・漢詩人。名は「きよただ」とも。空海・最澄らとともに入唐し、帰国後、朝儀の唐風化に尽力。文章博士 (もんじょうはかせ) 、従三位に至った。「凌雲集」「文華秀麗集」の編者の一人。
すがわらのこれよし【菅原是善】
[812〜880]平安前期の学者。清公 (きよきみ) の子。道真の父。文章博士 (もんじょうはかせ) を経て参議、従三位に至った。「文徳実録」の編集に参加。「東宮切韻」などを撰した。
すがわらのたかすえのむすめ【菅原孝標女】
[1008〜?]平安中期の女流文学者。父孝標は道真の玄孫。母は藤原倫寧 (ともやす) の娘で、道綱母の異母妹。30歳を過ぎて祐子内親王に出仕、橘俊通の妻となった。生涯を回想的に描いた「更級 (さらしな) 日記」があり、「浜松中納言物語」「夜の寝覚 (ねざめ) 」の作者ともいわれる。
すがわらのためなが【菅原為長】
[1158〜1246]鎌倉初期の学者。文章博士 (もんじょうはかせ) ・参議兼勘解由 (かげゆ) 長官。有職故実に通じた。著「字鏡集」「文鳳鈔」など。
すがわらのふみとき【菅原文時】
[899〜981]平安中期の漢詩人・学者。道真 (みちざね) の孫。文章博士 (もんじょうはかせ) 。天暦8年(954)村上天皇に政治論「意見封事三箇条」を提出。菅三品 (かんさんぽん) と称された。
すがわらのみちざね【菅原道真】
[845〜903]平安前期の公卿・学者・文人。是善 (これよし) の子。宇多天皇の信任が厚く、寛平6年(894)遣唐使に任ぜられたが献言してこれを廃止。延喜元年(901)藤原時平の中傷により大宰権帥 (だざいのごんのそち) に左遷され、配所で没した。学問・書・詩文にすぐれ、菅公と称され、後世、天満天神として祭られる。編著「三代実録」「類聚国史」「新撰万葉集」など。詩文集に「菅家文草」「菅家後集」がある。→天満宮