・・・もっとも読者の頭の程度が著者の頭の程度の水準線よりはなはだしく低い場合には、その著作にはなんらの必然性も認められないであろうし、従ってなんらの妙味も味わわれずなんらの感激をも刺激されないであろう。しかしこれは文学的作品の場合についても同じこ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ 江戸のむかし、吉原の曲輪がその全盛の面影を留めたのは山東京伝の著作と浮世絵とであった。明治時代の吉原とその附近の町との情景は、一葉女史の『たけくらべ』、広津柳浪の『今戸心中』、泉鏡花の『註文帳』の如き小説に、滅び行く最後の面影を残した・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ロッチの見た日本の風景と生活にして今は既に湮滅して跡を留めざるものも少くはない。ロッチの著作はわたくしが幼年のころに見覚えた過去の時代の懐しき紀念である。長煙管で灰吹の筒を叩く音、団扇で蚊を追う響、木の橋をわたる下駄の音、これらの物音はわれ・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・描かんとする人物に対して、著作者の同情深厚ならざるときはその制作は必ず潤いなき諷刺に堕ち、小説中の人物は、唯作者の提供する問題の傀儡たるに畢るのである。わたしの新しき女を見て纔に興を催し得たのは、自家の辛辣なる観察を娯しむに止って、到底その・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・啻に『金色夜叉』のみならず紅葉先生の著作は、明治三十四、五年の頃友人に勧められて一括してこれを通読する日まで、わたくしは殆どこれを知らずにいた位である。これも別に確然たる意見があったわけではない。その頃の書生は新刊の小説や雑誌を購読するほど・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・彼の癇癖は彼の身辺を囲繞して無遠慮に起る音響を無心に聞き流して著作に耽るの余裕を与えなかったと見える。洋琴の声、犬の声、鶏の声、鸚鵡の声、いっさいの声はことごとく彼の鋭敏なる神経を刺激して懊悩やむ能わざらしめたる極ついに彼をして天に最も近く・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・「さよう、自分の本の方が自由に使えて善ですね、しかし私などは著作をしようと思うとあすこへ出かけます……」「夏目さんは大変御勉強だそうですね」と細君が傍から口を開く「あまり勉強もしません、近頃は人から勧められて自転車を始めたものですから、・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・ほど経て先生が、久しい前君に貸したベインの本は僕の先生の著作だから保存して置きたいから、もし読んでしまったなら返してくれといわれた。その本は大分丹念に使用したものと見えて裏表とも表紙が千切れていた。それを借りたときにも返した時にも、先生は哲・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・その代り君の著作にかかる「其面影」を買って来て読んだ。そうして大いに感服した。(ある意味から云えば、今でも感服している。ここに余のいわゆるある意味を説明する事のできないのは遺憾であるが、作物の批評を重そこで、手紙を認めて、いささかながら早稲・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・京都大学へ来てから、学校へ、ナヴィルの出版した Oeuvres indites de Maine de Biran[『メーヌ・ド・ビラン未刊行著作集』]を購入することができたので、晩年の Fondements de la psycholog・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
出典:青空文庫