・・・「所が和尚はその日もまた、蓮華夫人が五百人の子とめぐり遇った話を引いて、親子の恩愛が尊い事を親切に説いて聞かせました。蓮華夫人が五百の卵を生む。その卵が川に流されて、隣国の王に育てられる。卵から生れた五百人の力士は、母とも知らない蓮華夫・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・「その指繊長にして、爪は赤銅のごとく、掌は蓮華に似たる」手を挙げて「恐れるな」と言う意味を示したのである。が、尼提はいよいよ驚き、とうとう瓦器をとり落した。「まことに恐れ入りますが、どうかここをお通し下さいまし。」 進退共に窮まった・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・――神職様、小鮒、鰌に腹がくちい、貝も小蟹も欲しゅう思わんでございましゅから、白い浪の打ちかえす磯端を、八葉の蓮華に気取り、背後の屏風巌を、舟後光に真似て、円座して……翁様、御存じでございましょ。あれは――近郷での、かくれ里。めった、人の目・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・立処に、無熱池の水は、白き蓮華となって、水盤にふき溢れた。 ――ああ、一口、水がほしい―― 実際、信也氏は、身延山の石段で倒れたと同じ気がした、と云うのである。 何より心細いのは、つれがない。樹の影、草の影もない。噛みたいほどの・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 腰を捻って、艪柄を取って、一ツおすと、岸を放れ、「ああ、良い月だ、妙法蓮華経如来寿量品第十六自我得仏来、所経諸劫数、無量百千万億載阿僧祇、」と誦しはじめた。風も静に川波の声も聞えず、更け行くにつれて、三押に一度、七押に一度、ともす・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・根じめともない、三本ほどのチュリップも、蓮華の水を抽んでた風情があった。 勿体ないが、その卯の花の房々したのが、おのずから押になって、御廚子の片扉を支えたばかり、片扉は、鎧の袖の断れたように摺れ下っていたのだから。「は、」 ただ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 牙の六つある大白象の背に騎して、兜率天よりして雲を下って、白衣の夫人の寝姿の夢まくらに立たせたまう一枚のと、一面やや大なる額に、かの藍毘尼園中、池に青色の蓮華の開く処。無憂樹の花、色香鮮麗にして、夫人が無憂の花にかざしたる右の手のその・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・血は上ずっても、性は陰気で、ちり蓮華の長い顔が蒼しょびれて、しゃくれてさ、それで負けじ魂で、張立てる治兵衛だから、人にものさ言う時は、頭も唇も横町へつん曲るだ。のぼせて、頭ばっかり赫々と、するもんだで、小春さんのいい人で、色男がるくせに、頭・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・を見つつ育ち、清澄山の山頂で、同じ日の出に向かって、彼の立宗開宣の題目「南無妙法蓮華経」を初めて唱えたのであった。彼は「われ日本の柱とならん」といった。「名のめでたきは日本第一なり、日は東より出でて西を照らす。天然の理、誰かこの理をやぶらん・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・金刀比羅宮、男山八幡宮、天照皇大神宮、不動明王、妙法蓮華経、水天宮。――母は、多ければ多いほど、御利益があると思ったのだろう! それ等が、殆んど紙の正体が失われるくらいにすり切れていた。――まだある。別に、紙に包んだ奴が。彼はそれを開けてみ・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
出典:青空文庫