・・・部屋に這入って見ると、机の上に鹿の角や花束が載っていて、その傍に脱して置いて出た古襟があった。窓を開けて、襟を外へ投げた。それから着物を脱いで横になった。しかし今一つ例の七ルウブルの一ダズンの中の古襟のあったことを思い出したから、すぐに起き・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・もう一つの予言はどうなるか分らないが、ともかくも今まで片側だけしか見る事の出来なかった世界は、これを掌上に置いて意のままに任意の側から観る事が出来るようになった。観者に関するあらゆる絶対性を打破する事によって現出された客観的実在は、ある意味・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・私は海辺に育ちましたから浪を見るのが大好きですよ。海が荒れると、見にくるのが楽しみです」「あすこが大阪かね」私は左手の漂渺とした水霧の果てに、虫のように簇ってみえる微かな明りを指しながら言った。「ちがいますがな。大阪はもっともっと先・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・彼らの一人大石誠之助君がいったというごとく、今度のことは嘘から出た真で、はずみにのせられ、足もとを見る暇もなく陥穽に落ちたのか、どうか、僕は知らぬ。舌は縛られる、筆は折られる、手も足も出ぬ苦しまぎれに死物狂になって、天皇陛下と無理心中を企て・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・この溝渠には曾て月見橋とか雪見橋とか呼ばれた小さな橋が幾条もかけられていたのであるが、それ等旧時の光景は今はわずかに小林清親の風景板画に於てのみ之を見るものとなった。 池の端を描いた清親の板画は雪に埋れた枯葦の間から湖心遥に一点の花かと・・・ 永井荷風 「上野」
・・・太十の目には田の畔から垣根から庭からそうして柿の木にまで挂けらえた其稲の収穫を見るより瞽女の姿が幾ら嬉しいか知れないのである。瞽女といえば大抵盲目である。手引といって一人位は目明きも交る。彼らは手引を先に立てて村から村へ田甫を越える。げた裾・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 精神がこの屈辱を感ずるとき、吾人はこれを過去の輪廓がまさに崩れんとする前兆と見る。未来に引き延ばしがたきものを引き延ばして無理にあるいは盲目的に利用せんとしたる罪過と見る。 過去はこれらのイズムに因って支配せられたるが故に、これか・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・それにしてもユンケル氏が出て来ないのを不思議に思い、エスさんに尋ねて見ると、自分は全く家を間違っていたのであった。 昨年の秋、十数年ぶりに金沢へ帰って見た。小立野の高台から見はらす北国の青白い空には変りはないが、何十年昔のこととて、街は・・・ 西田幾多郎 「アブセンス・オブ・マインド」
・・・甚だしきは独逸近代の軍国主義さへも、ニイチェの影響だと見る人がある。それによつてアメリカ人は、世界大戦の責任者をカイゼルとニイチェとの罪に帰した。 日本に於けるニイチェの影響は、しかしながら皆無と言ふ方が当つて居る。日本の詩人で、多少で・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ 流石は外国人だ、見るのも気持のいいようなスッキリした服を着て、沢山歩いたり、どうしても、どんなに私が自惚れて見ても、勇気を振い起して見ても、寄りつける訳のものじゃない処の日本の娘さんたちの、見事な――一口に云えば、ショウウインドウの内・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
出典:青空文庫