・・・ 秋になると、蜻蛉も、ひ弱く、肉体は死んで、精神だけがふらふら飛んでいる様子を指して言っている言葉らしい。蜻蛉のからだが、秋の日ざしに、透きとおって見える。 秋ハ夏ノ焼ケ残リサ。と書いてある。焦土である。 夏ハ、シャンデリヤ。秋・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・おりおりその身に対する同情の言葉が交される。彼は既に死を明らかに自覚していた。けれどそれが別段苦しくも悲しくも感じない。二人の問題にしているのはかれ自身のことではなくて、ほかに物体があるように思われる。ただ、この苦痛、堪え難いこの苦痛から脱・・・ 田山花袋 「一兵卒」
およそありの儘に思う情を言顕わし得る者は知らず/\いと巧妙なる文をものして自然に美辞の法に称うと士班釵の翁はいいけり真なるかな此の言葉や此のごろ詼談師三遊亭の叟が口演せる牡丹灯籠となん呼做したる仮作譚を速記という法を用いて・・・ 著:坪内逍遥 校訂:鈴木行三 「怪談牡丹灯籠」
・・・というおかしな結論になる訳であるが、これは「分る」という言葉の意味の使い分けである事は勿論である。 アインシュタインの仕事の偉大なものであり、彼の頭脳が飛び離れてえらいという事は早くから一部の学者の間には認められていた。しかし一般世間に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・でも言葉は大阪と少しも変わりはなかった。山がだんだんなだらかになって、退屈そうな野や町が、私たちの目に懈く映った。といってどこに南国らしい森の鬱茂も平野の展開も見られなかった。すべてがだらけきっているように見えた。私はこれらの自然から産みだ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・こんにゃはァ、というのは、こんにゃくだ、こんにゃくだという意味で、大声でふしをつけると、ついそんな風に言葉がツマってしまうのである。 ――こんにゃはァ、こんにゃはァ、 腰で調子をとって、天秤棒をギシギシ言わせながら、一度ふれては十間・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・一層遠く柔に聞えて来る鐘の声は、鈴木春信の古き版画の色と線とから感じられるような、疲労と倦怠とを思わせるが、これに反して秋も末近く、一宵ごとにその力を増すような西風に、とぎれて聞える鐘の声は屈原が『楚辞』にもたとえたい。 昭和七年の夏よ・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・とはギニヴィアの半ば疑える言葉である。疑える中には、今更ながら別れの惜まるる心地さえほのめいている。「行く」といい放って、つかつかと戸口にかかる幕を半ば掲げたが、やがてするりと踵を回らして、女の前に、白き手を執りて、発熱かと怪しまるるほ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・やがて宴が始まってデザート・コースに入るや、停年教授の前に坐っていた一教授が立って、明晰なる口調で慰労の辞を述べた。停年教授はと見ていると、彼は見掛によらぬ羞かみやと見えて、立つて何だか謝辞らしいことを述べたが、口籠ってよく分らなかった。宴・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・したがつてそれは最も暗示に富んだ文学で、言葉と言葉、行と行との間に、多くの思ひ入れ深き省略を隠して居る。即ち言へば、アフォリズムはそれ自ら「詩」の形式の一種なのである。 アフォリズムは詩である。故にこれを理解し得るものも、また詩人の直覚・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
出典:青空文庫