・・・また、古びた貯金帳といっしょに、なにか書いたものがほかから出てきました。それを見ると、「私は、親もなければ、兄弟もない一人ぽっちで暮らしてきた。私の一生は、けっして楽なものではなかった。人のやさしみというものをしみじみと味わわなかった私・・・ 小川未明 「三月の空の下」
・・・たいした野心もなく、大金持になろうなどと思ってはいなかったというものの、勘当されている身の上を考えれば、やはり少しはましな人間になって、大手を振って親きょうだいに会えるようになりたい、そのためにはまず貯金だと思っていたのですが、酒のためにそ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・二千円ぐらい貯金があってもよさそうなものだ。随分映画なんかで稼いだんだろう」「シナリオか。随分書いたが、情報局ではねられて許可にならなかったから、金はくれないんだ。余り催促すると、汚ないと思われるから黙っていたがね」「しかし、汚ない・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・退院まで四十日も掛り、その後もレントゲンとラジウムを掛けに通ったので、教師をしていた間けちけちと蓄めていた貯金もすっかり心細くなってしまい、寺田は大学時代の旧師に泣きついて、史学雑誌の編輯の仕事を世話してもらった。ところが、一代は退院後二月・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・だとか「勝ち抜くための貯金」だとか、相変らずのビラが貼ってあった。私は何となく選挙の終った日、落選者の選挙演説会の立看板が未だに取り除かれずに立っている、あの皮肉な光景を想いだした。 標語の好きな政府は、二三日すると「一億総懺悔」という・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・帰って家内に相談しましてね、貯金ありったけ子供の分までおろしたり物を売ったりして、やっと八千両こしらえましてな、一人じゃ持てないちゅうんで、家族総出、もっとも年寄りと小さいのは留守番にして総勢五人弁当持ちで朝暗い内から起きて京都の堀川まで行・・・ 織田作之助 「世相」
・・・えまえから、蝶子はチラシを綴じて家計簿を作り、ほうれん草三銭、風呂銭三銭、ちり紙四銭、などと毎日の入費を書き込んで世帯を切り詰め、柳吉の毎日の小遣い以外に無駄な費用は慎んで、ヤトナの儲けの半分ぐらいは貯金していたが、そのことがあってから、貯・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・傍へ来られると、坂田はどきんどきんと胸が高まって、郵便局の貯金をすっかりおろしていることなど、忘れたかった。印刷を請負うのにも、近頃は前金をとり、不意の活字は同業者のところへ借りに走っていた。仕事も粗雑で、当然註文が少かった。 それでも・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・そして二カ月ほど前に、相当の貯金とかなりの得意さで、帰ってきたのだ。私は彼に会った時に、言った。「君がいなかったものだから、僕は嚊も子供も皆な奪られてしまったよ」と。 これはまったくの冗談のつもりから、言ったのではないのだ。事実は、私が・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・月に割って二十五円、一家は妻に二十になるお菊と十八になるお新の二人娘で都合四人ぐらし、銀行に預けた貯金とても高が知れてるから、まず食って行けないというのが世間並みである。けれども石井翁は少しも苦にしない。 例を車夫や職工にとって、食って・・・ 国木田独歩 「二老人」
出典:青空文庫