・・・ けれど、質樸な北の方の国の人々は、そのことを知りませんでした。また、遠い南の国へゆくにしても、幾日も幾日も旅をしなければならない。船に乗らなければならないし、また、車にも、馬にも乗らなければならなくて、容易のことではなかったのでありま・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・たゞ千年前の青い空の下に、其の時分の昔の人も、こうして住んでいたというより他に思われない極めて単純な、自然の儘の質朴な生活をつゞけている人がある。頭を上げて見るものは悠久に青い空の色である。淋しく、西の空に沈んでゆく夕日に地平線の紅く色づく・・・ 小川未明 「夕暮の窓より」
・・・人物というよりもやや奸悪の方の人物でありますが、まさに馬琴の同時代に沢山生存して居たところの人物でありまして、それらの一種の色男がり、器用がり、人の機嫌を取ることが上手で、そして腹の中は不親切で、正直質朴な人を侮蔑して、自分は変な一種の高慢・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・ 反応を要求しない親切ならば受けてもそれほど恐ろしくないが、田舎の人の質樸さと正直さはそのような投げやりな事は許容しない。それでこれらの人々から受けた親切は一々明細に記録しておいて、気長にそしてなしくずしにこれを償却しなければならないの・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・ これに反して上士は古より藩中無敵の好地位を占るが為に、漸次に惰弱に陥るは必然の勢、二、三十年以来、酒を飲み宴を開くの風を生じ(元来飲酒会宴の事は下士に多くして、上士は都て質朴、殊に徳川の末年、諸侯の妻子を放解して国邑に帰えすの令を出し・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 極く極く質朴な処が若い百姓には少なくて、金のある時に町へ行って買いためたハンケチだの、帯だの、ニッケルの時計だの、指環だのをあらいざらい身につけて、新銘仙の着物等を着て居るのが多い。節くれだった小指に、鍍金の物々しい金指環をはめて居た・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・彼等が「没趣味なもの、俗悪なもの、平俗なものとして斥けたものも、質朴な自然そのものに外ならないことが余りにも屡々であったのである。」 バルザックが、彼の作品でとりあげたのは正にそのロマンチストたちにとって俗悪・低劣とされたところの金銭及・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・見ると質朴な田舎者らしい老人夫婦や乳飲み児をかかえた母親や四つぐらいの女の子などが、しょんぼり並んで腰を掛けている。朝からそのままの姿でじっとしていたのではないかと思わせるくらい静かに。その眼には確かに大都会の烈しさに対する恐怖がチラついて・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫