・・・ 池の端を描いた清親の板画は雪に埋れた枯葦の間から湖心遥に一点の花かとも見える弁財天の赤い祠を望むところ、一人の芸者が箱屋を伴い吹雪に傘をつぼめながら柳のかげなる石橋を渡って行く景である。この板画の制作せられたのは明治十二三年のころであ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・げた裾から赤いゆもじを垂れてみんな高足駄を穿いて居る。足袋は有繋に白い。荷物が図抜けて大きい時は一口に瞽女の荷物のようだといわれて居る其紺の大風呂敷を胸に結んで居る。大きな荷物は彼等が必ず携帯する自分の敷蒲団と枕とである。此も紺の袋へ入れた・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・と女が蚊遣筒を引き寄せて蓋をとると、赤い絹糸で括りつけた蚊遣灰が燻りながらふらふらと揺れる。東隣で琴と尺八を合せる音が紫陽花の茂みを洩れて手にとるように聞え出す。すかして見ると明け放ちたる座敷の灯さえちらちら見える。「どうかな」と一人が云う・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・そのチャンチャン坊主の支那兵たちは、木綿の綿入の満洲服に、支那風の木靴を履き、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、辮髪の豚尾を背中に長くたらしていた。その辮髪は、支那人の背中の影で、いつも嘆息深く、閑雅に、憂鬱に沈思しながら、戦争の最中でさえも、・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・浚渫船のデッキには、石油缶の七輪から石炭の煙が、いきなり風に吹き飛ばされて、下の方の穴からペロペロ、赤い焔が舌なめずりをして、飯の炊かれるのを待っていた。 団扇のような胴船が、浚渫船の横っ腹へ、眠りこけていた。 私は両手で顎をつっか・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・ エモノのタコを東京に持って帰り、友人の宇野逸夫に話したところ、彼は自分の故郷では、イイダコは赤い色のついたもので釣るという。宇野は隠岐の島出身、つまり日本海である。すると、太平洋のタコは白好きで、日本海のタコは赤好きなのか。きっと、ソ・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・涙が赤い色のものであッたら、無数の朱点が打たれたらしく見えた。 この間も吉里はたえず耳を澄ましていたのである。今何を聞きつけたか、つと立ち上った。廊下の障子を開けて左右を見廻し、障子を閉めて上の間の窓の傍に立ち止ッて、また耳を澄ました。・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・今黄金の珠がいざって遠い海の緑の波の中に沈んで行く。名残の光は遠方の樹々の上に瞬をしている。今赤い靄が立ち昇る。あの靄の輪廓に取り巻かれている辺には、大船に乗って風波を破って行く大胆な海国の民の住んでいる町々があるのだ。その船人はまだ船の櫓・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・頭を挙げて見ると、目の前に鼻の欠けた地蔵様が立ってござるので、その地蔵様に向いて、未来は必ず人間界に行かれるよう六道の辻へ目じるしの札を立てて下さいませ、この願いが叶いましたら、人間になって後、きっと赤い唐縮緬の涎掛を上げます、というお願を・・・ 正岡子規 「犬」
・・・ そのとき霧の向こうから、大きな赤い日がのぼり、羊歯もすぎごけもにわかにぱっと青くなり、蟻の歩哨は、またいかめしくスナイドル式銃剣を南の方へ構えました。 宮沢賢治 「ありときのこ」
出典:青空文庫