・・・捲き上げようとして這入り込みながら散々手を焼いて駅亭から追い立てられているような事もいった。「お前も一番乗って儲かれや」とその中の一人は仁右衛門をけしかけた。店の中はどんよりと暗く湿っていた。仁右衛門は暗い顔をして唾をはき捨てながら・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ママ、ごよごよは出たり引いたり、ぐれたり、飲んだり、八方流転の、そして、その頃はまた落込みようが深くって、しばらく行方が知れなかった。ほども遠い、……奥沢の九品仏へ、廓の講中がおまいりをしたのが、あの辺の露店の、ぼろ市で、着たのはくたびれた・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 引窓を開けたばかりわざと勝手の戸も開けず、門口も閉めたままで、鍋をかけた七輪の下を煽ぎながら、大入だの、暦だの、姉さんだのを張交ぜにした二枚折の枕屏風の中を横から振向いて覗き込み、「姉や、気分はどうじゃの、少し何かが解って来たか、・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 船で河から市川へ出るつもりだから、十七日の朝、小雨の降るのに、一切の持物をカバン一個につめ込み民子とお増に送られて矢切の渡へ降りた。村の者の荷船に便乗する訣でもう船は来て居る。僕は民さんそれじゃ……と言うつもりでも咽がつまって声が・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
一 僕は一夏を国府津の海岸に送ることになった。友人の紹介で、ある寺の一室を借りるつもりであったのだが、たずねて行って見ると、いろいろ取り込みのことがあって、この夏は客の世話が出来ないと言うので、またその住持・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ やがて、夜が明け放れると、やぶの中へ朝日がさし込みました。小鳥は木の頂で鳴きました。そして、ぼけの花が、真紅な唇でまりを接吻してくれました。「まりさん、どこへいままでいっていなさいました? みんなが、毎日、あなたを探していましたよ・・・ 小川未明 「あるまりの一生」
・・・そんな中へどうも、こんな御面倒な話を持ち込みましちゃ……」と媼さんは何か思案に晦れる。莨を填めては吸い填めては吸い、しまいにゴホゴホ咽せ返って苦しんだが、やッと落ち着いたところで、「お光さん、一体今度のお話の……金之助さんとかいうのでしたね・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・われながら、そこで三月、やがて自由党の壮士の群れに投じて、川上音次郎、伊藤痴遊等の演説行に加わり、各地を遍歴した……と、こう言うと、体裁は良いが、本当は巡業の人足に雇われたのであって、うだつの上がる見込みは諦めた方が早かったから、半年ばかり・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・してみればこれは傷の痛さに夢中で此処へ這込だに違いないが、それにしても其時は此処まで這込み得て、今は身動もならぬが不思議、或は射られた時は一ヵ所の負傷であったが、此処へ這込でから復た一発喰ったのかな。 蒼味を帯びた薄明が幾個ともなく汚点・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ 本堂の傍に、こうした持込みの場合の便宜のために、別に式壇が設けられてあって、造花などひととおり飾られてあった。そこへ位牌堂から先祖の位牌が持ちだされて、父の遺骨が置かれた。思いがけなかった古い親戚の人たちもぼつぼつ集ってきた。村からは・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
出典:青空文庫