・・・オベリスクやエッフェル塔が空中でとんぼ返りをしたりする滑稽でも、要領がよいのでくすぐりに落ちずして自然に人のあごを解くようなところがある。「制服の処女」とこの映画とを比べても実によくドイツ人の映画とフランス人の映画との対照がわかるような・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・長煙管で灰吹の筒を叩く音、団扇で蚊を追う響、木の橋をわたる下駄の音、これらの物音はわれわれが子供の時日々耳にきき馴れたもので、そして今は永遠に返り来ることなく、日本の国土からは消去ってしまったものである。 英国人サー・アーノルドの漫遊記・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・髯の根をうんと抑えて、ぐいと抜くと、毛抜は下へ弾ね返り、顋は上へ反り返る。まるで器械のように見える。「あれは何日掛ったら抜けるだろう」と碌さんが圭さんに質問をかける。「一生懸命にやったら半日くらいで済むだろう」「そうは行くまい」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ 今前条に示したる家内に返りてこれを論ぜん。この家内の有様は外を以て内を制し、公を以て私を束縛するものなり。主人の常言に家内安全を主とし質素正直を旨とするはすこぶる有力なる教えにして、然もこの教えは、世間道徳の門においても常に喋々して人・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・そこで自分に返りて考えて見た。考えて見ると今まで木の影を離れる事が出来ぬので同じ小道を往たり来たりして居る、まるで狐に化されたようであったという事が分った。今は思いきって森を離れて水辺に行く事にした。 海のような広い川の川口に近き処を描・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・ わたくしはすこしむっとしてふり返りましたら給仕はまた威張って云いました。「所長さんがすぐ来いって。」 わたくしは返事もしないでだまってみんなの椅子のうしろを通り、例の扉をあけて恭しくはいって行きました。 所長は肥った白い手・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・裏は、人力車一台やっと通る細道が曲りくねって、真田男爵のこわい竹藪、藤堂伯爵の樫の木森が、昼間でも私に後を振返り振返りかけ出させた。 袋地所で、表は狭く却って裏で間口の広い家であったから、勝ち気な母も不気味がったのは無理のない事だ。又実・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・これは友達をこわがらせる為めに、造り事を言ったのであるが、その話を聞いてからは、便所の往き返りに、とかく四畳半が気になってならないのである。殊に可笑しいのは、その造り事を言った当人が、それを言ってからは四畳半がこわくなって、とうとう一度は四・・・ 森鴎外 「心中」
・・・くれんといっぺんに起き返りよるな。ありゃ! 何んじゃ、お前安次やして!」「さっき来たんやが、お前いやせんだ。」 安次は怒った肩を撫でながら縁に腰を下ろした。「どうしてるのや?」「どうって見た通りのざまや。」「そうか。安次・・・ 横光利一 「南北」
・・・ いつかはまた、ちょっとした子供によくある熱に浮されて苦しみながら、ひるの中は頻りに寐反りを打って、シクシク泣ていたのが、夜に入ってから少しウツウツしたと思って、フト眼を覚すと、僕の枕元近く奥さまが来ていらっしゃって、折ふし霜月の雨のビ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫