近頃パリに居る知人から、アレキサンダー・モスコフスキー著『アインシュタイン』という書物を送ってくれた。「停車場などで売っている俗書だが、退屈しのぎに……」と断ってよこしてくれたのである。 欧米における昨今のアインシュタ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・山がだんだんなだらかになって、退屈そうな野や町が、私たちの目に懈く映った。といってどこに南国らしい森の鬱茂も平野の展開も見られなかった。すべてがだらけきっているように見えた。私はこれらの自然から産みだされる人間や文化にさえ、疑いを抱かずには・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・髱留めの一、二本はいつも口に銜えているものの、女はこの長々しい熱心な手芸の間、黙ってぼんやり男を退屈さして置くものでは決してない。またの逢瀬の約束やら、これから外の座敷へ行く辛さやら、とにかく寸鉄人を殺すべき片言隻語は、かえって自在に有力に・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・の十分間くらいは私が何を主眼に云うかよく分らない、二十分目ぐらいになってようやく筋道がついて、三十分目くらいにはようやく油がのって少しはちょっと面白くなり、四十分目にはまたぼんやりし出し、五十分目には退屈を催し、一時間目には欠伸が出る。とそ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・あの小さな狡猾さうな眼をした、梟のやうな哲学者ショーペンハウエルは、彼の暗い洞窟の中から人生を隙見して、無限の退屈な欠伸をしながら、厭がらせの皮肉ばかりを言ひ続けた。一方であの荒鷲のやうなニイチェは、もつと勇敢に正面から突撃して行き、彼の師・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・余り片附きすぎてとりつき端がなかった。退屈凌ぎに飲食することは、前祝いのようで都合が悪かった。 不思議な事には、子供たちは誰一人、眼を泣きはらしていなかった。 本田富次郎の頭脳が、兎に角物を言う事の出来た間中は、彼は此地方切っての辣・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・本義などという者は到底面白きものならねば読むお方にも退屈なれば書く主人にも迷惑千万、結句ない方がましかも知らねど、是も事の順序なれば全く省く訳にもゆかず。因て成るべく端折って記せば暫時の御辛抱を願うになん。 凡そ形あれば茲に意あ・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・こんな問答でもあるとその間だけ気が紛れて居るが、そんな事も度々はない。退屈の余り凱旋の七絶が出来たので、上の桟敷の板裏へ書きつけて見たが、手はだるし、胸は苦しし遂に結句だけ書かずにしまった。その内にも船はとまって居るのでもないからその次の日・・・ 正岡子規 「病」
・・・それからいかにも退屈そうに、わざと大きなあくびをして、両手を頭のうしろに組んで、行ったり来たりやっていた。ところが象が威勢よく、前肢二つつきだして、小屋にあがって来ようとする。百姓どもはぎくっとし、オツベルもすこしぎょっとして、大きな琥珀の・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
芥川さんでしたか「私達の生活の側に天国をもって来るとしたら、きっと退屈してしまって、死んでしまいたくなるだろう」って云われたように覚えてますが、それは私も同感に思います。ですから理想などというものは、実現されるまでのその間・・・ 宮本百合子 「愛と平和を理想とする人間生活」
出典:青空文庫