・・・彼は『省察録』の第二答弁において証明 dmontrer の仕方に二通りあるという。一つは分析 analyse ou rsolution であり、一つは綜合 synthse ou composition である。分析とは、物が方法的に見出され・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・しかし一通り読んでしまへば、幾何学の公理と同じく判然明白に解つてしまふ。カントに宿題は残らない。然るにニイチェはどこまで行つても宿題ばかりだ。ニイチェの思想の中には、カント流の「判然明白」が全く無い。それは詩の情操の中に含蓄された暗示であり・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ 一方が公園で、一方が南京町になっている単線電車通りの丁字路の処まで私は来た。若し、ここで私をひどく驚かした者が無かったなら、私はそこで丁字路の角だったことなどには、勿論気がつかなかっただろう。処が、私の、今の今まで「此世の中で俺の相手・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・家君さんが気抜けのようになッたと言うのに、幼稚い弟はあるし、妹はあるし、お前さんも知ッてる通り母君が死去のだから、どうしても平田が帰郷ッて、一家の仕法をつけなければならないんだ。平田も可哀そうなわけさ」「平田さんがお帰郷なさると、皆さん・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・一通り中好くして睦じく奇麗に附合うは宜し。我輩も勉めて勧告する所なれども、真実親愛の情に至て彼れと此れと果して同様なるを得べきや否や。我輩は人間の天性に訴えて叶わぬことゝ断言するものなり。一 嫉妬の心努ゆめゆめ発すべからず。男婬・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 世間では、私の号に就ていろんな臆説を伝えているが、実際は今云った通りなんだ。いや、「仕舞え!」と云って命令した時には、全く仕舞う時節が有るだろうと思ったね。――その解決が付けば、まずそのライフだけは収まりが付くんだから。で、私の身にと・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・Rue de la Faisanderie の大道は広々と目の下に見えていて、人通りは少い。ロンドンの上流社会の住んでいる市区によくこんな立派な、幅の広い町があるが、ここの通りはそれに似ている。 ピエエル・オオビュルナンは良久しく物を案・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・何もかもこの通りだ。意義もない、幸福もない、苦痛もない、慈愛もない、憎悪もない。死。阿房ものめが。好いわ。今この世の暇を取らせる事じゃから、たった一度本当の生活というものを貴ばねばならぬ事を、其方に教えて遣わそう。あっちに行って黙って立・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・終には昔為山君から教えられた通り、日本画の横顔と西洋画の横顔とを画いて「これ見給え、日本画の横顔にはこんな目が画いてある、実際 君、こんな目があるものじゃない」などと大得意にしゃべって居る。その気障加減には自分ながら驚く。○僕は子供・・・ 正岡子規 「画」
・・・いまに芽を出せばその通り青く見えるんだ。学校の田のなかにはきっとひばりの巣が三つ四つある。実習している間になんべんも降りたのだ。けれども飛びあがるところはつい見なかった。ひばりは降りるときはわざと巣からはなれて降りるから飛びあがるとこを見な・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
出典:青空文庫