・・・ 退屈したときには、皆で、物語の連作をはじめるのが、この家のならわしである。たまには母も、そのお仲間入りすることがある。「何か、無いかねえ。」長兄は、尊大に、あたりを見まわす。「きょうは、ちょっと、ふうがわりの主人公を出してみたいの・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・もっと、くわしく紹介したいのであるが、いまは、それよりも、この家族全部で連作した一つの可成り長い「小説」を、お知らせしたいのである。入江の家の兄妹たちは、みんな、多少ずつ文芸の趣味を持っている事は前にも言って置いた。かれらは時々、物語の連作・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・しかし連作風に数首を連ねたものには、一種不思議な興味を感じさせられます。一首一首の巧拙などはもちろんよく分らなくても、全体として見たときに感ずる一種の雰囲気のようなものがあって、それが色々暗示を与えるからであります。連作にもいろいろありまし・・・ 寺田寅彦 「書簡(2[#「2」はローマ数字2、1-13-22])」
・・・もちろん短歌の中には無季題のものも決して少なくはないのであるが、一首一首として見ないで、一人の作者の制作全体を通じて一つの連作として見るときには、やはり日本人特有の季題感が至るところに横溢していることが認められるであろうと思われる。 枕・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ 七 短歌の連作と連句 近ごろ岩波文庫の「左千夫歌論抄」の巻頭にある「連作論」を読んで少なからざる興味を感じたのであるが、同時に連作短歌と連句との比較研究という一つの新しい題目が頭に浮かんで来るのであった。ところ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 最も早くからケーテの才能を認めて、そのために一部の者からは脳軟化症だなどと悪罵された批評家エリアスは、心をこめて、この連作が「確りしたつよい健康な手で、怖ろしい真実をもぎとって来たような像である」ことを慶賀した。 展覧会の委員は満・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
「広場」は、一九四〇年にかかれた。同じ頃の短篇「おもかげ」と作者の内面では連作の意味をもっていた。当時軍国主義日本の文化統制はますますきびしくなってきていて、人間の理性や自然な感覚から生れる文学は、抹殺されつつあった。日本の・・・ 宮本百合子 「作者のことば(『現代日本文学選集』第八巻)」
・・・がその最初をなすもので、それからずっと近頃のものまで、連作の形をとっているのです。つまり、「崖の上」「白霧」「苔」と順々に発表してきましたが、此の秋『改造』へ載せるので、それも一落着きになるつもりです。これはまるで、五年間の家庭生活に、はた・・・ 宮本百合子 「十年の思い出」
・・・ 文学の文学らしさを求めるこの郷愁は、素材主義的な長篇に対置した希望で短篇小説に眼を向けさせ、岡田三郎の伸六という帰還兵を主人公とする連作短篇なども現れた。また十四年度に著しい現象とされた婦人作家の作品への好意と興味とも、一面ではそこに・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
「広場」は、一九三九年十二月にかかれた。同じ時に「おもかげ」という短篇がかかれていて、ある意味で連作の形をとった。前の年一年と、この年の半ば頃まで作品の発表が禁じられていた。「広場」は、「おもかげ」とともに作者のソヴェト・・・ 宮本百合子 「「広場」について」
出典:青空文庫