・・・「ゴーシュさんはこの二番目の糸をひくときはきたいに遅れるねえ。なんだかぼくがつまずくようになるよ。」 ゴーシュははっとしました。たしかにその糸はどんなに手早く弾いてもすこしたってからでないと音が出ないような気がゆうべからしていたので・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・ 汽車の時間に後れるといけないからとようやっと出してやりながら泣きぬれた顔をかくす様にして車にゆられて行く女を見た時も一度呼び返して肩でも抱えてやりたい様に思えた。 後から行く車の幌のすきから、林町の家でもらった中古の小箪笥が遠くま・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
・・・いつでもあなたは遅れるのね。早くよ」「待っていらっしゃいよ。石がごろごろしていて歩きにくいのですもの」 後れ先立つ娘の子の、同じような洗髪を結んだ、真赤な、幅の広いリボンが、ひらひらと蝶が群れて飛ぶように見えて来る。 これもお揃・・・ 森鴎外 「杯」
・・・だが、盛り飯の廻りが遅れると彼らは箸で茶碗を叩き出した。湯気が満ちると、彼らの顔は赤くなって伸縮した。 牛の頭で腹を満たすと彼は十銭を投げ出してひとり露地裏の自分の家へ帰って来た。彼は他人の家の表の三畳を借りていた。部屋にはトゲの刺さる・・・ 横光利一 「街の底」
・・・これでは汽車の時間にカツカツだ、まずくすると乗り遅れるかも知れない、あの時時計が止まってくれなければよかった、などと思う。しかし電車はすぐ来た。それがまた思ったよりも調子よく走る。人の乗り降りがあまりないので停車場などは止まったかと思うとす・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫