・・・浅草という土地がら、大道具という職業がらには似もつかず、物事が手荒でなく、口のききようも至極穏かであったので、舞台の仕事がすんで、黒い仕事着を渋い好みの着物に着かえ、夏は鼠色の半コート、冬は角袖茶色のコートを襲ねたりすると、実直な商人としか・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・着した自転車の鞍とペダルとは何も世間体を繕うために漫然と附着しているものではない、鞍は尻をかけるための鞍にしてペダルは足を載せかつ踏みつけると回転するためのペダルなり、ハンドルはもっとも危険の道具にして、一度びこれを握るときは人目を・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・と同時に腹ん中の一切の道具が咽喉へ向って逆流するような感じに捕われた。然し、 然し今はもう総てが目の前にあるのだ。 そこには全く残酷な画が描かれてあった。 ビール箱の蓋の蔭には、二十二三位の若い婦人が、全身を全裸のまま仰向きに横・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ おのおの思い思いのめかし道具を持参して、早や流しには三五人の裸美人が陣取ッていた。 浮世風呂に浮世の垢を流し合うように、別世界は別世界相応の話柄の種も尽きぬものか、朋輩の悪評が手始めで、内所の後評、廓内の評判、検査場で見た他楼の花・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・第一道具がいる。それに馬鹿に骨が折れて、脚が引っ吊って来る。まあ、やっぱり手を出して一文貰うか、パンでも貰うかするんだなあ。おれはこのごろ時たま一本腕をやる。きょうなんぞもやったのだ。随分骨が折れて、それほどの役には立たねえ。きまって出てい・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・今の代の人、女子に衣服道具抔多く与へて婚姻せしむるよりも、此条々を能く教ふること一生身を保つ宝なるべし。古語に、人能く百万銭を出して女子を嫁せしむることを知て十万銭を出して子を教ふることを知らずといへり。誠なる哉。女子の親たる人、此理を知ず・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・木道具や窓の龕が茶色にくすんで見えるのに、幼穉な現代式が施してあるので、異様な感じがする。一方に白塗のピアノが据え附けてあって、その傍に Liberty の薄絹を張った硝子戸がある。隣の室に通じているのであろう。随分無趣味な装飾ではあるが、・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・(家来ランプを点して持ち来り、置いて帰り行ええ、またこの燈火が照すと、己の部屋のがらくた道具が見える。これが己の求める物に達する真直な道を見る事の出来ない時、厭な間道を探し損なった記念品だ。この十字架に掛けられていなさる耶蘇殿は定めて身に覚・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・「おらの道具知らないかあ。」「知らないぞお。」と森は一ぺんにこたえました。「さがしに行くぞお。」とみんなは叫びました。「来お。」と森は一斉に答えました。 みんなは、こんどはなんにももたないで、ぞろぞろ森の方へ行きました。・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・小ざっぱりとした白い壁の小部屋で、ピカピカ清潔な医療道具がガラス箱の内に揃っている。白い上っぱりを着た医者が一人の女の患者を扱っているところだった。「女はどうしても姙娠やお産で歯をわるくするのです。ところが働きながら歯医者へ通うことは時・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
出典:青空文庫