・・・私がもし古美術の研究家というような道楽をでももっていたら、煩いほど残存している寺々の建築や、そこにしまわれてある絵画や彫刻によって、どれだけ慰められ、得をしたかしれなかったが――もちろん私もそういう趣味はないことはないので、それらの宝蔵を瞥・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・従来酒は嫌な上に女の情というものを味う機会がなかったので彼は唯働くより外に道楽のない壮夫であった。其勤勉に報うる幸運が彼を導いて今の家に送った。彼は養子に望まれたのである。其家は代々の稼ぎ手で家も屋敷も自分のもので田畑も自分で作るだけはあっ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・その発現の方法もまた世が進めば進むほど複雑になるのは当然であるが、これをごく約めてどんな方面に現われるかと説明すればまず普通の言葉で道楽という名のつく刺戟に対し起るものだとしてしまえば一番早分りであります。道楽と云えば誰も知っている。釣魚を・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・金はなくってもかまわないから道楽をしない保証のついた人でなければやらないというのである。そうしてなぜそんな注文を出すのか、いわれが説明としてその返事に伴っていた。 女には一人の姉があって、その姉は二、三年まえすでにある資産家のところへ嫁・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・だから隙があって道楽に人生を研究するんでなくて、苦悶しながら遣っていたんだ。私が盛に哲学書を猟ったのも此時で、基督教を覘き、仏典を調べ、神学までも手を出したのも、また此時だ。 全く厭世と極って了えば寧そ楽だろうが、其時は矛盾だったから苦・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・濫な作者の道楽気は反省されなければならないと共に、群集の一人でも、此からの舞台では、仕出し根性を改めなければならないのではあるまいか。 此時ばかりでなく、「恋の信玄」で手負いの侍女が、死にかかりながら、主君の最期を告げに来るのに、傍にい・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・ よく貞操のことで男が道楽するなら女だって――というようなことを聞きますが、私はもうそんなことは下の下だと思います。それは私にしてもやきもちもやけば、こっちの気心も知らないで――と腹の立つ事もありましょうけど、道徳の根本問題は何も人・・・ 宮本百合子 「男が斯うだから女も……は間違い」
・・・盆栽と煎茶とが翁の道楽であった。 この北向きの室は、家じゅうで一番狭い間で、三畳敷である。何の手入もしないに、年々宿根が残っていて、秋海棠が敷居と平らに育った。その直ぐ向うは木槿の生垣で、垣の内側には疎らに高い棕櫚が立っていた。 花・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・ 僕をこの催しに誘い出したのは、写真を道楽にしている蔀君と云う人であった。いつも身綺麗にしていて、衣類や持物に、その時々の流行を趁っている。或時僕が脚本の試みをしているのを見てこんな事を言った。「どうもあなたのお書きになるものは少し勝手・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・彼らの眼にはこの種の芸術は貴族や金持ちの道楽品に過ぎぬので、それを破壊するのが何ゆえ大きい罪であるかという事はほとんど理解せられないのである。この種の民衆は、たとえばトルストイの芸術論を基礎として、多くの優秀な芸術品の破壊を命令しないとも限・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
出典:青空文庫