・・・それに町の出口入り口なれば村の者にも町の者にも、旅の者にも一休息腰を下ろすに下ろしよく、ちょっと一ぷくが一杯となり、章魚の足を肴に一本倒せばそのまま横になりたく、置座の半分遠慮しながら窮屈そうに寝ころんで前後正体なき、ありうちの事ぞかし。・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・いつも無遠慮なコーリヤに珍らしいことだった。 武石も、物を持って来て、やっているんだな、と松木は思った。じゃ、自分もやることは恥かしくない訳だ。彼はコーリヤが遠慮するとなおやりたくなった。「さ、これもやるよ。」彼は、パイナップルの鑵・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 少年は遠慮した様子をちょっと見せたが、それでも餌の事も知っていたと見えて、嬉しそうな顔になって餌を改めた。が、僅に一匹の虫を鉤に着けたに過ぎなかったから、 もっとお着け、魚は餌で釣るのだからネ。 少年はまた二匹ばかり着け足した・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・だった。十勝川も見える。子供が玩具にしたあとの針金のようだった、がところどころだけまぶゆくギラギラと光っていた。――「真夏」の「真昼」だった。遠慮のない大陸的なヤケに熱い太陽で、その辺から今にもポッポッと火が出そうに思われた。それで、その高・・・ 小林多喜二 「人を殺す犬」
・・・りたいは万々なれどどうぞ御近日とありふれたる送り詞を、契約に片務あり果たさざるを得ずと思い出したる俊雄は早や友仙の袖や袂が眼前に隠顕き賛否いずれとも決しかねたる真向からまんざら小春が憎いでもあるまいと遠慮なく発議者に斬り込まれそれ知られては・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ とおげんは言って、誰に遠慮もない小山の家の奥座敷に親子してよく寛いだ時のように、身体を横にして見、半ば身体を起しかけて見、時には畳の上に起き直って尻餅でも搗いたようにぐたりと腰を落して見た。そしてその度に、深い溜息を吐いた。「わた・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・スバーは、極く小さい子供の時から、神が何かの祟りのように自分を父の家にお遣しになったのを知っていたのでなみの人々から遠慮し、一人だけ離れて暮して行こうとしました。若し皆が、彼女のことをすっかり忘れ切って仕舞っても、スバーは、ちっとも其を辛い・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・この署長はひどく酒が好きで、私とはいい飲み相手で、もとから遠慮も何も無い仲だったのですが、その夜は、いつになく他人行儀で、土間に突立ったまま、もじもじして、「いや、きょうは、」と言い、「お願いがあって来たのです。」と思いつめたような口調・・・ 太宰治 「嘘」
・・・ 女たちのほうの観察をもう少ししたいと思ったけれど、どうもそのほうは誰も遠慮して話してくれない。それに、その女たちにも会う機会がない。遺憾だとは思ったが、しかたがないので、そのまま筆をとることにした。 六月の二日か三日から稿を起こし・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・鳥にはだれも初めから遠慮とか作法とかを期待しない、というせいもあるであろう。また、鳥の生活に全然没交渉なわれわれは、鳥の声からしてわれわれの生活の中に無作法に侵入して来るような何物の連想をもしいられないせいもあるであろう。蝉の声には慣らされ・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
出典:青空文庫