・・・たいていは馬の肢が折れるかと思うくらい、重い荷を積んでいるのだが、傾斜があるゆえ、馬にはこの橋が鬼門なのだ。鞭でたたかれながら弾みをつけて渡り切ろうとしても、中程に来ると、轍が空まわりする。馬はずるずる後退しそうになる。石畳の上に爪立てた蹄・・・ 織田作之助 「馬地獄」
・・・触れば益々痛むのだが、その痛さが齲歯が痛むように間断なくキリキリと腹をむしられるようで、耳鳴がする、頭が重い。両脚に負傷したことはこれで朧気ながら分ったが、さて合点の行かぬは、何故此儘にして置いたろう? 豈然とは思うが、もしヒョッと味方敗北・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・が、あの高い煉瓦塀の中でのいっさいの自由を奪われたような苦役生活の八年間――どれほどの重い罪を犯したものか、自分なんかにはほとんど想像もつかないことではあるが、何しろ彼はまだ当年十九歳の、いわばまだ少年と言っていい年齢だったのだ。それがそれ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・部屋へ帰ると窓近い樫の木の花が重い匂いを部屋中にみなぎらせていました。Aは私の知識の中で名と物とが別であった菩提樹をその窓から教えてくれました。私はまた皆に飯倉の通りにある木は七葉樹だったと告げました。数日前RやAや二三人でその美しい花を見・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・ 牧師が賛美歌の番号を知らすと、堂のすみから、ものものしい重い、低い調子でオルガンの一くさり、それを合図に一同が立つ。そして男子の太い声と婦人の清く澄んだ声と相和して、肉声の一高一低が巧妙な楽器に導かれるのです、そして「たえなるめぐみ」・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・二重硝子を透して遠くに、対岸の黒河の屋根が重い支那家屋の家なみが、黒く見えた。すべてがかたまりついた雪と氷ばかりだ。部分部分が白く、きらきらと光っていた。 また、きしきしという軋りが聞えて、氷上蹄鉄を打ちつけられた馬が、氷を蹴る音がした・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ 「そうですな、野布袋という奴は元来重いんでございます、そいつを重くちゃいやだから、それで工夫をして、竹がまだ野に生きている中に少し切目なんか入れましたり、痛めたりしまして、十分に育たないように片っ方をそういうように痛める、右なら右、左・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ そして、この働きざかりのときにおいて、あるいは人道のために、あるいは事業のために、あるいは恋愛のために、あるいは意気のために、とにかく、自己の生命より重いと信ずるあるもののために、力のかぎり働いて、倒れてのちやまんとすることは、まず死・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・――入ると、後で重い鉄の扉がギーと音をたてゝ閉じた。 俺はその音をきいた。それは聞いてしまってからも、身体の中に音そのまゝの形で残るような音だった。この戸はこれから二年の間、俺のために今のまゝ閉じられているんだ、と思った。 薄暗い面・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・末子を引き取り、三郎を引き取りするうちに、目には見えなくても降り積もる雪のような重いものが、次第に深くこの私を埋めた。 しかし私はひとりで子供を養ってみているうちに、だんだん小さなものの方へ心をひかれるようになって行った。年若い時分・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫