・・・三十歳そこそこの若さでだ、阿修羅みたいにそんなに仕事が出来るのはよくない前兆だぞと、今はもう冗談にからかってもギクリともしない。不死身の覚悟が出来ているかのようである。死んだという噂を立てられてから六年になるが、六年の歳月が一人の人間をこん・・・ 織田作之助 「道」
・・・祇尼はまた阿修羅波子とも呼ばれて、その義は「飲血者」である。狐つかいの狐は人に禍や死を与える者とされている。して見れば祇尼の狐で、お稲荷様の狐ではないはずである。大江匡房が記している狐の大饗の事は堀河天皇の康和三年である。牛骨などを饗するの・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・額には油汗がぎらぎら浮いて、それはまことに金剛あるいは阿修羅というような形容を与えるにふさわしい凄まじい姿であった。私たち夫婦はそれを見て、実に不安な視線を交したが、しかし、三十秒後には、彼はけろりとなり、「やっぱり、ウイスキイはいいな・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・ 鋭い眼をした主人公が、銀座へ出て片手あげて円タクを呼びとめるところから話がはじまり、しかもその主人公は高まいなる理想を持ち、その理想ゆえに艱難辛苦をつぶさに嘗め、その恥じるところなき阿修羅のすがたが、百千の読者の心に迫るのだ。そうして・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・人の世の最も切なき阿修羅の姿だ。 十九世紀のヨオロッパの文豪たちも、幼くしてこの絵を見せられ、こわき説明を聞かされたにちがいない。「われを売る者、この中にひとりあり。」キリストはそう呟いて、かれの一切の希望をさらっと捨て去った、刹那・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 昔し阿修羅が帝釈天と戦って敗れたときは、八万四千の眷属を領して藕糸孔中に入って蔵れたとある。維摩が方丈の室に法を聴ける大衆は千か万かその数を忘れた。胡桃の裏に潜んで、われを尽大千世界の王とも思わんとはハムレットの述懐と記憶する。粟粒芥・・・ 夏目漱石 「一夜」
出典:青空文庫