・・・ 井侯が陛下の行幸を鳥居坂の私邸に仰いで団十郎一座の劇を御覧に供したのは劇を賤視する従来の陋見を破って千万言の論文よりも芸術の位置を高める数倍の効果があった。井侯の薨去当時、井侯の逸聞が伝えられるに方って、文壇の或る新人は井侯が団十郎を・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ たしかに、軍部は国民を皆殺しにしようと計画していたのだが、聖上陛下が国民の生命をお救い下すったのであると、私は思った。 知人の家で話をしていると、表を子供たちが、「――兵隊さんのおかげです……」 という歌を、歌いながら通っ・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・自分は士官室で艦長始め他の士官諸氏と陛下万歳の祝杯を挙げた後、準士官室に回り、ここではわが艦長がまだ船に乗らない以前から海軍軍役に服していますという自慢話を聞かされて、それからホールへまわった。 戦時は艦内の生活万事が平常よりか寛かにし・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・市民たちも、摂政宮殿下が御安全でいらせられるということは早く一日中に拝聞して、まず御安神申し上げましたが、日光の田母沢の御用邸に御滞在中の 両陛下の御安否が分りません。それで二日の午前に、まず第一に陸軍から、大橋特務曹長操縦、林少尉同乗で、・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ 昭和二十年八月十五日正午に、私たちは兵舎の前の広場に整列させられて、そうして陛下みずからの御放送だという、ほとんど雑音に消されて何一つ聞きとれなかったラジオを聞かされ、そうして、それから、若い中尉がつかつかと壇上に駈けあがって、「・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・舌は縛られる、筆は折られる、手も足も出ぬ苦しまぎれに死物狂になって、天皇陛下と無理心中を企てたのか、否か。僕は知らぬ。冷静なる法の目から見て、死刑になった十二名ことごとく死刑の価値があったか、なかったか。僕は知らぬ。「一無辜を殺して天下を取・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・けらいは皆「陛下よ、それはとても出来ないことでございます」と答えました。ところがこの河岸の群の中にビンズマティーと云う一人のいやしい職業の女がおりました。大王の問をみんなが口々に相伝えて云っているのをきいて「わたくしは自分の肉を売っ・・・ 宮沢賢治 「手紙 二」
・・・『ハイ、私の無上に尊い王様、私奴は陛下のお耳のことにつきまして上りました』 一寸法師は、一層腰を低くしながら云った。『何? 儂の耳のことで来た? そうならなぜ真先にそう云わん。さ、もっと近く来い、寒くはないか……』『有難うご・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ これには、母がまだお嬢様だった時分、書いたものや、繍ったもの、また故皇太后陛下からの頂戴ものその他一寸した私共には何でもなく見える、髪飾りなどばかり入って居たのだ。 地面にじかに投げ出されたものの中には、塩瀬の奇麗な紙入だの、歌稿・・・ 宮本百合子 「盗難」
・・・ 「陛下は大変御不機嫌でいらっしゃる、何か事が起るにきまって居るわ。あらましの事は知って居るが――」ってね。いろいろにききましたが頭が小さく生れついた女だと云うのでそれより外申しませんでした。 今朝町に参った若い者は、町中のものが、・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
出典:青空文庫