・・・実際二科院展の開会日に蒸暑くなかったという記憶のないのは不思議である。大正十二年の開会日は朝ひどい驟雨があって、それが晴れると蒸暑くなって、竹の台の二科会場で十一時五十八分の地震に出遇ったのであった。そうして宅へ帰ったら瓦が二、三枚落ちて壁・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・実際二科院展の開会日に蒸し暑くなかったという記憶のないのは不思議である。大正十二年の開会日は朝ひどい驟雨があって、それが晴れると蒸し暑くなって、竹の台の二科会場で十一時五十八分の地震に出会ったのであった。そうして宅へ帰ったら瓦が二三枚落ちて・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・毎年の文展や院展を見に行ってもこういう自分のいわゆる外道的鑑賞眼を喜ばすものは極めて稀であった。多くの絵は自分の眼にはただ一種の空虚な複製品としか思われなかった。少なくも画家の頭脳の中にしまってある取って置きの粉本をそのまま紙布の上に投影し・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・二科会や院展も噂を聞くばかりで満足しなければならなかった。帝展の開会が間近くなっても病気は一向に捗々しくない。それで今年はとうとう竹の台の秋には御無沙汰をすることにあきらめていた。そこへ『中央美術』の山路氏が訪ねて来られて帝展の批評を書いて・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・ 院展もちょっと覗いてみた。 近藤浩一路氏は近年「光」の画を描く事を研究しているように見える。ただそれを研究しているという事が何より先に感ぜられるので、楽しんで見るだけのゆとりが自分には出て来ない。 大観氏の四枚の絵は自分に・・・ 寺田寅彦 「二科会その他」
・・・そういう絵が院展に限らず日本画展覧会には通有である。一体日本画というものが本質的にそういうものなのか。つまり日本画というものはこいう展覧会などに陳列すべきものでないのかとも考えてみる。しかしここにもし光琳でも山楽でも一枚持ってくればやっぱり・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・ 五階には時々各種の美術展覧会が催される、今の美術界の趨勢は帝展や院展を見なくてもいくぶんはここだけでもうかがわれる、のみならずそういう大きな展覧会に出ない人たちの作品まで見られる便利がある、そして入場は無料である。 ここではまたい・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・二科や院展がはじまったから新しいエハガキを御覧にいれましょう。南画会が小室翠雲と関西派との衝突で解散した由。残暑をお大切に。本当にお大切に。 九月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より〕 九月十一日 第十一信 き・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 美術院展覧会を一覧してまず感ずることは、そこに技巧があって画家の内部生命がないことである。東洋画の伝統は千年の古きより一年前の新しきに至るまでさまざまに利用せられ復活せられて、ひたすら看衆の眼を奪おうと努めている。ある者は大和絵と文人・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫