・・・そんなことで打込まれた人間も、随分無いこともないんだから、君も注意せんと不可んよ。人間は何をしたってそれは各自の自由だがね、併し正を踏んで倒れると云う覚悟を忘れては、結局この社会に生存が出来なくなる……」 ………… 空行李、空葛・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・友達が連れて帰ってくれたのだったが、その友達の話によると随分非道かったということで、自分はその時の母の気持を思って見るたびいつも黯然となった。友達はあとでその時母が自分を叱った言葉だと言って母の調子を真似てその言葉を自分にきかせた。それは母・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・それに私もお付き申しているから、と言っても随分怪しいものですが、まあまあお気遣いのようなことは決してさせませんつもり、しかしおいやでは仕方がないが。 いやでござりますともさすがに言いかねて猶予う光代、進まぬ色を辰弥は見て取りて、なお口軽・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・『イヤそうも言えない随分ひどいという事だから』と叔父のいうに随いてお絹『大概にして帰って来なさればよいに、いくらお金ができても身体を悪くすれば何にもなりゃアしない。』『ナニあの男の事だからいったんかせぎに出たからにはいくらかまと・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・兵タイを内地へ帰えすと約束して、まだその舌の端が乾かないうちに、反対に戦場へ追いやるのは随分ツライ話だ。が、彼は、そのツライ話を実行しなければならないと考えた。 負傷者は、今、内地へ帰れなかったら、この次、いつ内地へ帰れるか、さきは暗闇・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ そういう訳で銘々勝手な本を読みますから、先生は随分うるさいのですが、其の代り銘々が自家でもって十分苦しんで読んで、字が分らなければ字引を引き、意味が取れなければ再思三考するというように勉強した揚句に、いよいよ分らないというところだけを・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・の時代がある、故に道徳・智識の如きに至っては、随分高齢に至る迄、進んで已まぬを見るのも多いが、元気・精力を要するの事業に至っては、此の「働き盛り」を過ぎては殆どダメで、如何なる強弩も其末魯縞を穿ち得ず、壮時の麒麟も老いては大抵驢馬となって了・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・「二年も前に入っている三・一五の連中さえまだ公判になっていないんだから、順押しに行くと随分長くなるぜ。」 俺はその時、フト硝子戸越しに、汚い空地の隅ッこにほこりをかぶっている、広い葉を持った名の知れない草を見ていた。四方の建物が高い・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・其の癖随分贅沢を致しますから段々貧に迫りますので、御新造が心配をいたします。なれども当人は平気で、口の内で謡をうたい、或はふいと床から起上って足踏をいたして、ぐるりと廻って、戸棚の前へぴたりと坐ったり何か変なことをいたし、まるで狂人じみて居・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・と自分は学生生活もしたらしい男の手を眺めて、「僕も君等の時代には、随分困ったことがある――そりゃあもう、辛い目に出遇ったことがある。丁度君が今日の境遇を僕も通り越して来たものさ。さもなければ、君、誰がこんな忠告なぞするものか、実際君の苦しい・・・ 島崎藤村 「朝飯」
出典:青空文庫