・・・ 六 その内に部屋の中からは、誰かのわっと叫ぶ声が、突然暗やみに響きました。それから人が床の上へ、倒れる音も聞えたようです。遠藤は殆ど気違いのように、妙子の名前を呼びかけながら、全身の力を肩に集めて、何度も入口の戸へ・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・父はすぐ彼の答えの響きの悪さに感づいたようだった。そしてまたもや忌わしい沈黙が来た。彼には父の気持ちが十分にわかっていたのだ。三十にもなろうとする息子をつかまえて、自分がこれまでに払ってきた苦労を事新しく言って聞かせるのも大人気ないが、そう・・・ 有島武郎 「親子」
・・・われ等がこの里の名を聞くや、直ちに耳の底に響き来るは、松風玉を渡るがごとき清水の声なり。夏の水とて、北国によく聞ゆ。 春と冬は水湧かず、椿の花の燃ゆるにも紅を解くばかりの雫もなし。ただ夏至のはじめの第一日、村の人の寝心にも、疑いなく、時・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・省作が目をさました時は、満蔵であろう、土間で米を搗く響きがずーんずーと調子よく響いていた。雨で家にいるとせば、繩でもなうくらいだから、省作は腹の中ではよいあんばいだわいと思いながら元気よく起きた。 省作は今日休ませてもらいたいのだけれど・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・敵塁の速射砲を発するぽとぽと、ぽとぽとと云う響きが聴えたのは、如何にも怖いものや。再び立ちあがった時、僕はやられた。十四箇所の貫通創を受けた。『軍曹どの、やられました!』『砲弾か小銃弾か?』『穴は大きい』『じゃア、後方にさが・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ 今より十七八年前、誰やらが『我は小説家たるを栄とす』と放言した時、頻りに其の意気の壮んなるに感嘆されたが、此の放言が壮語として聞かれ、異様に響きて感嘆さるゝ間は小説家の生活は憐むべきものであろう。が、当時は此の壮語を吐いて憤悶を洩らす・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ この話は遠くの村まで響きました。遠方の船乗りや、また漁師は、神さまにあがった、絵を描いたろうそくの燃えさしを手に入れたいものだというので、わざわざ遠いところをやってきました。そして、ろうそくを買って山に登り、お宮に参詣して、ろうそくに・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・いているうちに、やがてアセチリン瓦斯の匂いと青い灯が如露の水に濡れた緑をいきいきと甦らしている植木屋の前まで来ると、もうそこからは夜店の外れでしょう、底が抜けたように薄暗く、演歌師の奏でるバイオリンの響きは、夜店の果てまで来たもの哀しさでし・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 激しい車輪の響きが彼の身体に戦慄を伝えた。それははじめ荒々しく彼をやっつけたが、遂には得体の知れない感情を呼び起こした。涙が流れ出た。 響きは遂に消えてしまった。そのままの普段着で両親の家へ、急行に乗って、と彼は涙の中に決心してい・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・何省書記官正何位という幾字は、昔気質の耳に立ち優れてよく響き渡り、かかる人に親しく語らうを身の面目とすれば、訪われたるあとよりすぐに訪い返して、ひたすらになお睦まじからんことを願えり。才物だ。なかなかの才物だとしきりに誉め称やし、あの高ぶら・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫