・・・出口へ出るとそこでは下足番の婆さんがただ一人落ち散らばった履物の整理をしているのを見付けて、預けた蝙蝠傘を出してもらって館の裏手の集団の中からT画伯を捜しあてた。同君の二人の子供も一緒に居た。その時気のついたのは附近の大木の枯枝の大きなのが・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・Henri Bordeaux という人の或る旅行記の序文に、手荷物を停車場に預けて置いたまま、汽車の汽笛の聞える附近の宿屋に寝泊りして、毎日の食事さえも停車場内の料理屋で準え、何時にても直様出発し得られるような境遇に身を置きながら、一向に巴・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・「じゃ、こん度来る時まで預けて置こう。ここの家は何ていうんだ。」「高山ッていうの。」「町の名はやっぱり寺嶋町か。」「そう。七丁目だよ。一部に二部はみんな七丁目だよ。」「何だい。一部だの二部だのッていうのは。何かちがう処が・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ランスロットの預けた盾を眺め暮している。その盾には丈高き女の前に、一人の騎士が跪ずいて、愛と信とを誓える模様が描かれている。騎士の鎧は銀、女の衣は炎の色に燃えて、地は黒に近き紺を敷く。赤き女のギニヴィアなりとは憐れなるエレーンの夢にだも知る・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・もうしまっておいたって仕様がないし、残しときゃ手拭紙にでもするんだが、それもあんまり義理が悪いようだし、お前さんに預けておくから、西宮さんに頼んで、ついでの時平田さんへ届けてもらっておくんなさいよ。ねえ小万さん、お頼み申しますよ」 小万・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 春になると、北上の河谷のあちこちから、沢山の馬が連れて来られて、此の部落の人たちに預けられます。そして、上の野原に放されます。それも八月の末には、みんなめいめいの持主に戻ってしまうのです。なぜなら、九月には、もう原の草が枯れはじめ水霜・・・ 宮沢賢治 「種山ヶ原」
・・・もっともそちの持てるだけ預けることといたそうぞよ」 どうもさむらいのことばが少し変でしたし、そしてたしかに変ですが、まあ六平にはそんなことはどうでもよかったのです。「へい。へい。何の千両ばこの十やそこばこ、きっときっと持ち参るでござ・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
今日の一般の人を心から考えさせた事件だと思います。あそこに預けられた子供の率をみると去年は一躍二百余名に上り、そのうち八〇パーセントが殺されました。昨年このようにあずけられる子供の数が増えて殺された率も多かったということと・・・ 宮本百合子 「“生れた権利”をうばうな」
・・・翌朝キュリー夫人はその重い宝を銀行の金庫へ預けた。 パリからボルドーへと向って来た旅行の間、彼女はまるで人目に立たずにすんだ。けれども今重い責任をはたしてパリに帰ろうとする時になると、彼女の廻りには人垣ができた。この婦人がパリへ帰ってゆ・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・光尚は鉄砲十挺を預けて、「創が根治するように湯治がしたくばいたせ、また府外に別荘地をつかわすから、場所を望め」と言った。又七郎は益城小池村に屋敷地をもらった。その背後が藪山である。「藪山もつかわそうか」と、光尚が言わせた。又七郎はそれを辞退・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫