・・・ それから何年経っただろう。次ぎに小熊さんに会ったのは一九三一年ごろで、小熊秀雄さんを、小説の部門に私を包括して、その文学の歴史の波が再び互を近づけたのであった。 諷刺詩人としての小熊秀雄氏が、その時代には成長の道程にあった。童話に・・・ 宮本百合子 「旭川から」
・・・エリカ・マンは、はじめ小論文や諷刺物語を書いて反ナチの闘争をはじめたが、一九三三年一月一日、ミュンヘンに「胡椒小屋」という政治的キャバレーをひらいて、おなじ名の諷刺劇を上演したり、娯楽と宣伝とをかねた政治的集会を催し、演劇的才能と行動性とを・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・には、上流社会ずきの中流人の諷刺がある。中流といっても「牡丹」に描かれたような日かげの、あわれはかない人々の人生の姿もある。「牡丹」は、駒沢の奥のひっそりした分譲地の借家に暮していたころ、その分譲地のいくつかの小道をへだてたところにある一つ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・他の一つは、プロレタリア・アレゴリーというものは、難しいもんだな、アレゴリーと諷刺とは、プロレタリア文学の形式として、どっちが広汎な、階級的役立ちに利用され得るだろうか、ということである。 アレゴリー、譬話というとわれわれは、まずエ・・・ 宮本百合子 「新たなプロレタリア文学」
・・・これはソヴェトの諷刺小説で、以前「十二の椅子」という諷刺小説を書いたイリフ、ペトロフ合作の長篇である。ジャーナリスト出身のペトロフが素材をあつめることを主に働き、詩人であるイリフが作品として書きあげてゆくという、新しい仕事ぶりで七年ほど前に・・・ 宮本百合子 「音楽の民族性と諷刺」
・・・この罪のない可愛い諷刺は、おのずから昔風な信用への判断、それにつづく批判として溢れているものではなかろうか。自分たち若いものの活溌な真情にとって、人間評価のよりどころとは思えないような外面的なまたは形式上のことを、小心な善良な年長者たちはと・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・詩人の間に諷刺詩の制作の要求がおこっていることは、今日私たちが取りくんでいる社会情勢との関係で謂わば自然な人間的要求の一発露でしょう。詩のジャンルとして諷刺詩というものがあり得るとか、あり得ないとかいう論議より先に、私共は実際生活の場面で屡・・・ 宮本百合子 「歌集『集団行進』に寄せて」
あるがままの姿は決して心理でもなければ諷刺でもない 伊藤整氏の近著『街と村』という小説集は、おなじ街や村と云っても、作者にとってはただの街や村の姿ではなく、それぞれに幽鬼の街、幽鬼の村である。これまでの自身の中・・・ 宮本百合子 「観念性と抒情性」
・・・そのみのない横柄ぶりが武士大名への諷刺として可笑しく笑わせるのだった。その「ねぶか」のなかに、長屋の男が新しく来る女房と、取り膳でお茶づけをたべるたのしさを空想して、俺がザラザラのガアサガアサとたべると、女房はさぞやさしくチンチロリンのサア・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・これは一種の諷刺のようにも聞き取られるが、ある友達の云うには、あれはやはり真に偶像破壊と云うことを快事だとして言ったのだろうと云うことである。それはどちらにしてもマルチン・ルテルの聖書のドイツ訳だって、当時は荘重を損じたように感じたのだから・・・ 森鴎外 「訳本ファウストについて」
出典:青空文庫