・・・ その内に筑波颪しがだんだん寒さを加え出すと、求馬は風邪が元になって、時々熱が昂ぶるようになった。が、彼は悪感を冒しても、やはり日毎に荷を負うて、商に出る事を止めなかった。甚太夫は喜三郎の顔を見ると、必ず求馬のけなげさを語って、この主思・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・何、またいつもの鼻っ風邪だったんだよ。」 浅川の叔母の言葉には、軽い侮蔑を帯びた中に、反って親しそうな調子があった。三人きょうだいがある内でも、お律の腹を痛めないお絹が、一番叔母には気に入りらしい。それには賢造の先妻が、叔母の身内だと云・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・――勿論こう云う千枝子の話は、あいつの神経のせいに違いないが、その時風邪を引いたのだろう。翌日からかれこれ三日ばかりは、ずっと高い熱が続いて、「あなた、堪忍して下さい。」だの、「何故帰っていらっしゃらないんです。」だの、何か夫と話しているら・・・ 芥川竜之介 「妙な話」
・・・その年が暮れに迫った頃お前達の母上は仮初の風邪からぐんぐん悪い方へ向いて行った。そしてお前たちの中の一人も突然原因の解らない高熱に侵された。その病気の事を私は母上に知らせるのに忍びなかった。病児は病児で私を暫くも手放そうとはしなかった。お前・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 急に、おお寒い、おお寒い、風邪揚句だ不精しょう。誰ぞかわんなはらねえかって、艫からドンと飛下りただ。 船はぐらぐらとしただがね、それで止まるような波じゃねえだ。どんぶりこッこ、すっこッこ、陸へ百里やら五十里やら、方角も何も分らねえ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・それでね、貴方、その病気と申しますのが、風邪を引いたの、お肚を痛めたのというのではない様子で、まあ、申せば、何か生霊が取着いたとか、狐が見込んだとかいうのでございましょう。何でも悩み方が変なのでございますよ。その証拠には毎晩同じ時刻に魘され・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・こんなとこイはいって寒雀みたいに行水してたら、風邪ひいてしまうわ」そして私の方へ「あんた、よう辛抱したはりまんな。えらい人やなあ」 曖昧に苦笑してると、男はまるで羽搏くような恰好に、しきりに両手をうしろへ泳がせながら、「失礼でっけど・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・露払いをすませ、あと汗びしょのまま会の接待役としてこまめに立ち働いたのが悪かったのか、翌日から風邪をひいて寝こんだ。こじれて急性肺炎になった。かなりいい医者に診てもらったのだが、ぽくりと死んだ。涙というものは何とよく出るものかと不思議なほど・・・ 織田作之助 「雨」
・・・お辰は柳吉の方を向いて、蝶子は痲疹厄の他には風邪一つひかしたことはない、また身体のどこ探してもかすり傷一つないはず、それまでに育てる苦労は……言い出して泪の一つも出る始末に、柳吉は耳の痛い気がした。 二三日、狭苦しい種吉の家でごろご・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・こないだからもな、風邪ひいとるんやけど、しんどうてな、おかあはんは休めというけど、うちは休まんのや」「薬は飲んでるのか」「うちでくれたけど、一服五銭でな、……あんなものなんぼ飲んでもきかせん」 喬はそんな話を聞きながら、頭ではS・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
出典:青空文庫