・・・ 火災からひなんしたすべての人たちのうち、おそらく少くとも百二十万以上の人は、ようやくのことで、上にあげた、それぞれの広地や、郊外の野原なぞにたどりつき、飲むものも食べるものもなしに、一晩中、くらやみの地上におびえあつまっていたのです。・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・わたしがチョコレエトを飲むようになったのも、考えて見れば、そのせいだわ。ほんとにどうしたというのだろう。考えれば考えるほど、大変な事になっちまっているわ。何から何まで、わたしはお前さんの通りに為込まれてしまっているわ。癖まで同じようにされて・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・二人はまず店に買い物に行って、そこでむすめは何か飲むつもりでしたが、店はみんなしまっていました。「ママのどがかわきますよ」 二人は郵便局に行きました。そこもしまっています。「ママお腹がすきました」 おかあさんはだまったままで・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・どこかで、お茶でも飲むか。 ――だめ。あたし、いま、はっきり、わかったわ。あなたと、あたしは、他人なのね。いいえ、むかしから他人なのよ。心の住んでいる世界が、千里も万里も、はなれていたのよ。一緒にいたって、お互い不幸の思いをするだけよ。・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・そしてコニャックを飲む。往来を眺める。格別物を考えはしない。 用事があってこの店へ来ることはない。金貸しには交際があるが、それはこの店を禁物にしていて近寄らない。さて文士連と何の触接点があるかと云うと、当時流行のある女優を、文士連も崇拝・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・最も卑近な例をあげると、スクリーンの上にコーヒーを飲む場面が映写されるのを見て急に自分もコーヒーが飲みたくなるような場合もあるであろう。 それとほぼ同じようなわけで、もはや青春の活気の源泉の枯渇しかけた老年者が、映画の銀幕の上に活動する・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・稽古唄の文句によって、親の許さぬ色恋は悪い事であると知っていたので、初恋の若旦那とは生木を割く辛い目を見せられても、ただその当座泣いて暮して、そして自暴酒を飲む事を覚えた位のもの、別に天も怨まず人をも怨まず、やがて周囲から強られるがままに、・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・津田君が三十匁の出殻を浪々この安茶碗についでくれた時余は何となく厭な心持がして飲む気がしなくなった。茶碗の底を見ると狩野法眼元信流の馬が勢よく跳ねている。安いに似合わず活溌な馬だと感心はしたが、馬に感心したからと云って飲みたくない茶を飲む義・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ 町へ行くときも、酒を飲むときも、女と遊ぶときも、僕は常にただ一人である。友人と一緒になる場合は、極く稀れに特別の例外でしかない。多くの人は、仲間と一緒の方を楽しむらしい。ただ僕だけが変人であり、一人の自由と気まま勝手を楽しむのである。・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・私ゃ平田さんと仲よくして、おとなしく飲むんだよ。ねえ平田さん」「ふん。不実同士揃ッてやがるよ。平田さん、私がそんなに怖いの。執ッ着きゃしませんからね、安心しておいでなさいよ。小万さん、注いでおくれ」と、吉里は猪口を出したが、「小杯ッて面・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫