自分は菊池寛と一しょにいて、気づまりを感じた事は一度もない。と同時に退屈した覚えも皆無である。菊池となら一日ぶら/\していても、飽きるような事はなかろうと思う。それと云うのは、菊池と一しょにいると、何時も兄貴と一しょにいる・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・毛利先生はその頁を、頻に指でつき立てながら、いつまでも説明に厭きる容子がない。この点もまた先生は、依然として昔の通りであった。ただ、まわりに立っている給仕たちは、あの時の生徒と反対に、皆熱心な眼を輝かせて、目白押しに肩を合せながら、慌しい先・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・従って何だって飽きる時が来るに定ってらあ。飽きたり、不満足になったりする時を予想して何にもせずにいる位なら、生れて来なかった方が余っ程可いや。生れた者はきっと死ぬんだから。A 笑わせるない。B 笑ってもいないじゃないか。A 可笑・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・三児は遊びに飽きると時々自分の書見の室に襲うてくる。 三人が菓子をもらいに来る、お児がいちばん無遠慮にやってくる。「おんちゃん、おんちゃん、かちあるかい、かち、奈子ちゃんがかちだって」 続いて奈々子が走り込む。「おっちゃんあ・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・しかしみんなは、おじいさんの弾くバイオリンの音に慣れ、またおじいさんの話にも聞き飽きると、いままでのように、おじいさんのまわりには寄ってきませんでした。「薬売りのおじいさんが、また、あすこで鳴らしているよ。」と、一人の子供がいうと、・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・ その最もいゝ例は、おじいさんや、おばあさんが、毎日、毎夜同じお話を孫達に語ってきかせて、孫達は、いくたびそれを聞いても、そのたびに新しい興味を覚えて飽きるを知らざるも、魂の接触と純朴なる愛情のつながりから、童話の世界に同化するがためで・・・ 小川未明 「童話を書く時の心」
・・・そして、好きな裁縫や編み物のような、静かな手芸に飽きることを知らないような娘であった。そろそろ女の洋服がはやって来て、女学校通いの娘たちが靴だ帽子だと新規な風俗をめずらしがるころには、末子も紺地の上着に襟のところだけ紫の刺繍のしてある質素な・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・さんざん飽きるほど乗って、やがて俥はある坂道の下にかかった。知らない町の燈火は夜見世でもあるように幌の外にかがやいた。俥に近く通り過ぎる人の影もあった。おげんは何がなしに愉快な、酔うような心持になって来た。弟も弟の子供達も自分を待ちうけてい・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
一 電車で老子に会った話 中学で孔子や孟子のことは飽きるほど教わったが、老子のことはちっとも教わらなかった。ただ自分等より一年前のクラスで、K先生という、少し風変り、というよりも奇行を以て有名な漢学者に教・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・にかけた事は一度もないのだから、いくらかいてもそれはいつでも新しく、いつでもちがった垣根や草木である。おそらく一生かいていてもこれらの「物」に飽きるような事はあるまいと思う。かく事には時々飽きはしても。 展覧会などで本職の画家のかいた絵・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
出典:青空文庫