燕という鳥は所をさだめず飛びまわる鳥で、暖かい所を見つけておひっこしをいたします。今は日本が暖かいからおもてに出てごらんなさい。羽根がむらさきのような黒でお腹が白で、のどの所に赤い首巻きをしておとう様のおめしになる燕尾服の・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・――橇はだんだん速力を増す。首巻がハタハタはためきはじめる。風がビュビュと耳を過ぎる。「ぼくはおまえを愛している」 ふと少女はそんな囁きを風のなかに聞いた。胸がドキドキした。しかし速力が緩み、風の唸りが消え、なだらかに橇が止まる頃に・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・鞄から毛糸の頸巻を取り出し、それを頸にぐるぐる巻いて甲板に出て見た。もう船は、少しも動揺していない。エンジンの音も優しく、静かである。空も、海も、もうすっかり暗くなって、雨が少し降っている。前方の闇を覗くと、なるほど港の灯が、ぱらぱら、二十・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・ その頸巻、いいわね、誰に編んでもらったの? いやなひと、にやにや笑いなんかしてさ、知っていますよ、節ちゃんさ、兄ちゃんにはね、あたしと節ちゃんと二人の女性しか無いのさ、なにせ丙種だから、どこへ行ったって、もてやしませんよ、そうでしょう? ・・・ 太宰治 「律子と貞子」
・・・もう仕方がないとあきらめると、つめたい風が森の中から出て電気燈の光にまじって来るので、首巻を鼻までかけて見たが直に落ちてしまう、寒さは寒し、急に背中がぞくぞくして気分が悪くなったからただうつむいたばかりで首もあげぬ。早く内へ帰れば善いとばか・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・ 道傍の枯芝堤に、赤や桃色の毛糸頸巻をした娘が三人、眩しそうに並んで日向ぼっこをしていた。 女役者の一座がかかった。 小屋は空地にある。××嬢へとした幟がはためいていた。やはり人気ないそこの白い街道を歩いていたら、すぐ前の木・・・ 宮本百合子 「山峡新春」
・・・真白い毛糸の首巻から、陽やけのした、今は上気せている顔が強い対照をなしている。奥の方の男は、眠っているうちに段々そうなったという風で、窮屈そうにやはりインバネスの大きい肩をねじって窓枠に顔をおっつけて睡ているのである。 むこう向きに赤い・・・ 宮本百合子 「東京へ近づく一時間」
・・・ 頸巻はいくら毛でも鼻の先がひどくつめたい。祖母は、足袋の先に真綿を入れて呉れたので足はいくらか暖かい。一本筋の高い処にある道を、静かながら北の山からすべり落ちて来る風にあらいざらい吹きさられて、足の遅いお伴と一緒に、私はもうちっと早く・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫