・・・今のドイツで一番高いゴチックの寺塔のあるという外には格別世界に誇るべき何物をも有たないらしいこの市名は偶然にこの科学者の出現と結び付けられる事になった。この土地における彼の幼年時代について知り得られる事実は遺憾ながら極めて少ない。ただ一つの・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・「この辺の土地はなかなか高いだろう」「なかなか高いです」 道路の側の崖のうえに、黝ずんだ松で押し包んだような新築の家がいたるところに、ちらほら見えた。塀や門構えは、関西特有の瀟洒なものばかりであった。「こちらへ行ってみましょ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・むかし細川藩の国家老とか何とかいう家柄をじまんにして、高い背に黄麻の単衣をきちんときている。椅子をひきずってきて腰かけながら、まだいっていたが、「なんだ、青井さ、一人か」 と、気がついたふうに、それから廊下をへだてた、まだ夜業をして・・・ 徳永直 「白い道」
・・・焔はなくて、湿った白い烟ばかりが、何とも云えぬ悪臭を放ちながら、高い老樹の梢の間に立昇る。老樹の梢には物すごく鳴る木枯が、驚くばかり早く、庭一帯に暗い夜を吹下した。見えない屋敷の方で、遠く消魂しく私を呼ぶ乳母の声。私は急に泣出し、安に手を引・・・ 永井荷風 「狐」
・・・天井を見ると左右は低く中央が高く馬の鬣のごとき形ちをしてその一番高い背筋を通して硝子張りの明り取りが着いている。このアチックに洩れて来る光線は皆頭の上から真直に這入る。そうしてその頭の上は硝子一枚を隔てて全世界に通ずる大空である。眼に遮るも・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・それから僻目かも知れないが、先生を訪問しても、先生によっては閾が高いように思われた。私は少し前まで、高校で一緒にいた同窓生と、忽ちかけ離れた待遇の下に置かれるようになったので、少からず感傷的な私の心を傷つけられた。三年の間を、隅の方に小さく・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・或る麗らかな天気の日に、秋の高い青空を眺めながら、遠い昔の夢を思い出した。その夢の記憶の中で、彼は支那人と賭博をしていた。支那人はみんな兵隊だった。どれも辮髪を背中にたれ、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、長い煙管を口にくわえて、悲しそうな顔を・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・私は工場で余り乾いた空気と、高い温度と綿屑とを吸い込んだから肺病になったんだ。肺病になって働けなくなったから追い出されたんだ。だけど使って呉れる所はない。私が働かなけりゃ年とったお母さんも私と一緒に生きては行けないんだのに」そこで彼女は数日・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・纈り腮をわざと突き出したほど上を仰き、左の牙歯が上唇を噛んでいるので、高い美しい鼻は高慢らしくも見える。懐手をして肩を揺すッて、昨日あたりの島田髷をがくりがくりとうなずかせ、今月一日に更衣をしたばかりの裲襠の裾に廊下を拭わせ、大跨にしかも急・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・羊の足の神、羽根のある獣、不思議な鳥、または黄金色の堆高い果物。この種々な物を彫刻家が刻んだ時は、この種々な物が作者の生々した心持の中から生れて来て、譬えば海から上った魚が網に包まれるように、芸術の形式に包まれた物であろう。己はお前達の美に・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
出典:青空文庫