・・・その映画のなかでよかったら、やはりその俳優の名前もひときわ心に刻まれて、別の作品のなかで同じひとが今度はどんな演技をしているか、それがみたい心持がするのが自然ではないだろうか。あのひとは、これまで一遍も、誰が面白い、誰が好きと友達の間で話し・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・ごく曲線的な薄田の演技は、本間教子のどちらかというと直線的なしかも十分ふくらみのあるつよい芸と調和して生かされているので、友代が、あれだけの真情を流露させる力をもたなかったら、おそらくあの芝居全体が、ひどくこしらえもののようにあらわれ、久作・・・ 宮本百合子 「「建設の明暗」の印象」
・・・そして、幼稚であるにしても特色のある演技で大衆的喝采を博した。 然し、いずれにしろ広大なソヴェト同盟だ。辺土地方には、まだ沢山文化向上のための不便がある。鉄道の沿線へまで二日かかるところに住むような勤労者は、講習会へ出かけると云ったって・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・それだのに、どうして、芸術座はアンナ・カレーニナを上演し、名優タラーソヴァの演技は、世界の観客をうつのだろう。タラーソヴァと芸術座の演出者は、こんにち地球にのこっている資本主義の社会の上流で、アンナ・カレーニナの悲劇が生きられていることを歴・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・従って演技も古い連中とは違う。故小山内薫氏が革命十年記念祭にモスクワへ来て、いろんな芝居見て、結局役者の上手なのはモスクワ芸術座しかないと云ったという噂をきいた。或る意味では真実だ。しかし問題もあるんだ。 現代ソヴェト共産青年、若い農・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・ 演技の前提としての人間的確立などということは、近代の芝居道ではおどろくべく古い云い草なのだろうと思う。きくまでもない、と思われるにちがいない。けれども、日本の社会は、全体が、分りきったこと、云われるまでもないことが、又改めてとりあげら・・・ 宮本百合子 「俳優生活について」
・・・前後して、『テアトロ』一月号の「演技批評への不満を訊く」座談会の記事を読んで、これからもうけるものがありました。 この座談会では、俳優の側から見て今日の演劇批評が与えるものを持っていないということが主として言われているようです。一人の読・・・ 宮本百合子 「一つの感想」
・・・映画として観れば、細部に納得の行かぬ点、あまり好都合過ぎる点、カメラの効果の点で疑問がない訳ではなかったが、この作品が昨年度の傑作の一つとなり得たのはポール・ムニの演技がこの科学者の人間的諸感情、情熱をその仕事との綜合でまざまざと生かし得た・・・ 宮本百合子 「ヒューマニズムへの道」
・・・ 演劇にしろ、彼女たちが光彩を放ったのは常に演技者としてであり劇作家としてではなかった。すでに創られているものをその感受性と表現の力によって再現してゆく、そこに新しい命を与えてゆくことにほとんど限られていた。これはどういうわけであったの・・・ 宮本百合子 「婦人の文化的な創造力」
・・・ 醍醐帝の延喜年間、西暦十世紀頃、京の都大路を、此那実際家、ゆとりのない心持の貴族が通って居たと思うと、或微笑を禁じ得ないではないか。 彼は又、薬師経を枕元で読ませて居た時、軍くびら大将とよみあげたのを、我を縊ると読みあげたと勘違い・・・ 宮本百合子 「余録(一九二四年より)」
出典:青空文庫