・・・近年に至って都下花柳の巷には芸者が茶屋待合の亭主或は客人のことを呼んで「とうさん」となし、茶屋の内儀又は妓家の主婦を「かアさん」というのを耳にする。良家に在っては児輩が厳父を呼んで「のんきなとうさん」と言っている。人倫の廃頽も亦極れりと謂う・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・間もなく震災があって、東京の市街は大方焼けてしまったので、裸体ダンスの噂もなくなったが、昭和になってから向島、平井町、五反田あたり新開町の花柳界には以前新橋赤坂で流行したようなダンスを見せる芸者が続々として現れるようになったという話をきいた・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・道楽と云いますと、悪い意味に取るとお酒を飲んだり、または何か花柳社会へ入ったりする、俗に道楽息子と云いますね、ああいう息子のする仕業、それを形容して道楽という。けれども私のここで云う道楽は、そんな狭い意味で使うのではない、もう少し広く応用の・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・たとえば今私がここで、相場をして十万円儲けたとすると、その十万円で家屋を立てる事もできるし、書籍を買う事もできるし、または花柳社界を賑わす事もできるし、つまりどんな形にでも変って行く事ができます。そのうちでも人間の精神を買う手段に使用できる・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・視するのみか、甚しきは敢て婬乱を恣にして配偶者を虐待侮辱するも世間に之を咎むる者なく、却て其虐待侮辱の下に伏従する者を見て賢婦貞女と称し、滔々たる流風、上下を靡かして、嫉妬は婦人の敗徳なりと教うれば、下流社会も之を聞習い、焼餅は女の恥など唱・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・是等は都て家風に存することにして、稚き子供の父たる家の主人が不行跡にて、内に妾を飼い外に花柳に戯るゝなどの乱暴にては、如何に子供を教訓せんとするも、婬猥不潔の手本を近く我が家の内に見聞するが故に、千言万語の教訓は水泡に帰す可きのみ。又男女席・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・改進は上流にはじまりて下流に及ぼすものなれば、今の日本国内において改進を悦ぶ者は上流の一方にありて、下流の一方は未だこれに達すること能わず。すなわち廃藩置県を悦ばざる者なり、法律改定を好まざる者なり、新聞の発行を嫌う者なり、商売工業の変化を・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ゆえに富貴は貧賤の情実を知り、貧賤は富貴の挙動を目撃し、上下混同、情意相通じ、文化を下流の人に及ぼすべし。その得、四なり。一、文学はその興廃を国政とともにすべきものにあらず。百年以来、仏蘭西にて騒乱しきりに起り、政治しばしば革るといえど・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ 現に今日の人間交際を見るに、いかなる人にても、交を求むるに上流を避けて下流につく者を見ず。ことさらに富貴の人を嫌うて、貧賤を友とする者を見ず。その富貴上流の人に交るや、必ずしも彼の富貴を取りて我に利するに非ざれども、おのずからこれに接・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・また東京にて花柳に戯れ遊冶にふけり、放蕩無頼の極に達する者は、古来東京に生れたる者に少なくして、必ず田舎漢に多し。しかも田舎にて昔なれば藩士の律儀なる者か、今なれば豪家の秘蔵息子にして、生来浮世の空気に触るること少なき者に限るが如し。これら・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
出典:青空文庫