・・・ 泣いたのと暴れたので幾干か胸がすくと共に、次第に疲れて来たので、いつか其処に臥てしまい、自分は蒼々たる大空を見上げていると、川瀬の音が淙々として聞える。若草を薙いで来る風が、得ならぬ春の香を送って面を掠める。佳い心持になって、自分は暫・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・と唱ったが、その声は実に前の声にも増して清い澄んだ声で、断えず鳴る笛吹川の川瀬の音をもしばしは人の耳から逐い払ってしまったほどであった。 これを聞くとかの急ぎ歩で遣って来た男の児はたちまち歩みを遅くしてしまって、声のした方を・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・郷里の山地のほうにいる太郎あてに送金するには、その支店から為替を組んでもらうのが、いちばん簡単でもあり、便利でもあったからで。日本橋の通りにあるバラック風な建物の中でも、また私たちはしばらく時を送った。その建物の前にある石の階段をおりたとこ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・そうしてこれは実に苦笑ものであるが、私は井伏さんの作品から、その生活のあまりお楽でないように拝察せられたので、まことに少額の為替など封入した。そうして井伏さんから、れいの律儀な文面の御返事をいただき、有頂天になり、東京の大学へはいるとすぐに・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・オオスミチユウタロウ 同時に電報為替で百円送られて来たのである。 彼が渡支してから、もう五年。けれども、その五年のあいだに、彼と私とは、しばしば音信を交していた。彼の音信に依れば、古都北京は、まさしく彼の性格にぴったり合った様子・・・ 太宰治 「佳日」
・・・もう、だめだ、と思う、そのとき、電報為替が来る。あによめからである。それにきまっている。三十円。私はそのとき、五十円ほしかった。けれども、それは慾である。五十円と言えば大金である。五十円あれば、どこかの親子五人が、たっぷりひとつきにこにこし・・・ 太宰治 「花燭」
・・・この女は、信州にたった一人の肉親の弟があるとか言って、私の集めて来るお金はたいていその弟のところへ為替で送られるのでした。そうして、私の顔を見るとすぐ、金、金、金と言うのです。私はこの女に金を与えるために、強盗、殺人、何でももう、やってやろ・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・拝啓。為替三百円たしかにいただきました。こちらへ来てから、お金の使い道がちっとも無くて、あなたからこれまで送っていただいたお金は、まだそっくりございます。あなたのほうこそ、いくらでもお金が要るでございましょうに、もうこれからは、お金をこちら・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・また五分くらいすると不意に思い出したように一陣の風がどうっと吹きつけてしばらくは家鳴り震動する、またぴたりと止む、するとまた雨の音と川瀬のせせらぎとが新たな感覚をもって枕に迫って来る。 高い上空を吹いている烈風が峰に当って渦流をつくる。・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ それだから年号と年数と干支とを併記して或る特定の年を確実不動に指定するという手堅い方法にはやはりそれだけの長所があるのである。為替や手形にデュープリケートの写しを添えるよりもいっそう手堅いやり方なのである。 年の干支と同様に日の干・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫