私共が故郷の金沢から始めて東京に出た頃は、水道橋から砲兵工廠辺はまだ淋しい所であった。焼鳥の屋台店などがあって、人力車夫が客待をしていた。春日町辺の本郷側のがけの下には水田があって蛙が鳴いていた。本郷でも、大学の前から駒込・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・ それ故西洋諸国の出版業者が、著者に対する尊敬と読者に対する愛敬とからして、やや高尚なる文学書類を多くパンフレツトで出版するのは、さもあるべき筈のことではないか。この仕方で出版された書物は、その特種なる国民的趣味を代表する表紙の一色によ・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・ ――諸君、善良なる諸君、われわれは今、刑務所当局に対して交渉中である! 同志諸君の貴重なる生命が、腐敗した罐詰の内部に、死を待つために故意に幽閉されてあるという事実に対して、山田常夫君と、波田きし子女史とは所長に只今交渉中である。また・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・畢竟するに其気品高尚にして性慾以上に位するが故なりと言わざるを得ず。曾て東京に一士人あり、頗る西洋の文明を悦び、一切万事改進進歩を気取りながら、其実は支那台の西洋鍍金にして、殊に道徳の一段に至りては常に周公孔子を云々して、子女の教訓に小学又・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・離は合の術なり、遠は近の方便なりとの趣意にして、結局は政府と学者と直接の関係を止め、ともに高尚の域に昇りて永遠重大の喜憂をともにせんとするの旨を述べたるものなり。たとえばここに一軒の家あらん。楼下は陋しき一室にして、楼上には夥多の美室あり。・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・だから、誉められても標準に無交渉なので嬉しくもなければ、譏られても見当違いだから、何の啓発される所もなかった。いわば、自分で独り角力を取っていたので、実際毀誉褒貶以外に超然として、唯だ或る点に目を着けて苦労をしていたのである。というのは、文・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・第二義から第一義に行って霊も肉も無い……文学が高尚でも何でも無くなる境涯に入れば偖てどうなるかと云うに、それは私だけにゃ大概の見当は付いているようにも思われるが、ま、ま、殆ど想像が出来んと云って可いな。――ただ何だか遠方の地平線に薄ぼんやり・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・それはやや高尚な感情で、自分の若かった昔の記念である。あの頃の事を思ってみれば、感情生活の本源まで溯って行く道がどんなにか平坦であっただろう。その恋しい昔の活きた証人ほど慕わしいものが世にあろうか。まだ人生と恋愛とが未来であった十七歳の青年・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・此画を見た時に余は一種の物凄い感じを起したと同時に、神聖なる高尚なる感じを起こした。王の有様は少しも苦しそうに見えぬ。若し余も死なねばならぬならば、斯ういう工合にしたら窮屈で無くすむであろうと思うた事がある。併し幾ら斯んなにして見た所が棺の・・・ 正岡子規 「死後」
・・・ペネタ形というのは、蛙どもでは大へん高尚なものになっています。平たいことなのです。雲の峰はだんだん崩れてあたりはよほどうすくらくなりました。「この頃、ヘロンの方ではゴム靴がはやるね。」ヘロンというのは蛙語です。人間ということです。「・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
出典:青空文庫