・・・先日も、ある年少の友人に向って言った事だが、君は君自身に、どこかいいところがあると思っているらしいが、後代にまで名が残っている人たちは、もう君くらいの年齢の頃には万巻の書を読んでいるんだ、その書だって猿飛佐助だの鼠小僧だの、または探偵小説、・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・ろうとは、思わなかったけれど、教壇に立って生徒を叱る身振りにあこがれ、機関車あやつる火夫の姿に恍惚として、また、しさいらしく帳簿しらべる銀行員に清楚を感じ、医者の金鎖の重厚に圧倒され、いちどはひそかに高台にのぼり、憂国熱弁の練習をさえしてみ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・今の世智辛い世の中に、こんな広大な「何の役にも立たない」地面の空白を見るだけでも心持がのびのびするのである。こんなところで天幕生活をしたらさぞ愉快であろうといったら、運転手が、しかし水が一滴もありませんという。金のある人は、寝台や台所のつい・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・ もし学校のようなありがたい施設がなくて、そしてただ全くの独学で現代文化の蔵している広大な知識の林に分け入り何物かを求めようとするのであったら、その困難はどんなものであろうか。始めから終わりまで道に迷い通しに迷って、無用な労力を浪費する・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・と云うので、教えられたままにそこから直角に曲って南へ正しい街道を求めながら人気の稀な多摩の原野を疾走した。広大な松林の中を一直線に切開いた道路は実に愉快なちょっと日本ばなれのした車路で、これは怪我の功名意外の拾い物であった。 帰路は夕日・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ しかしなめらかな毛髪や顔や肉体の輪郭を基調とした線の音楽としてのほとんど唯一の形式は、やはり古い浮世絵の領域を踏み出す事は困難に思われる。後代の浮世絵の失敗の原因はこの領域を無理解に逸出した事にありはしないだろうか。 もしこの私の・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・び上がって出て来たり、踊り子の集団のまん中から一人ずつ空中に抜け出しては、それが弾丸のように観客のほうへけし飛んで来るようなトリックでも、芸術的価値は別問題として映画の世界における未来の可能性の多様さ広大さを暗示するものとして注意してもよい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・これに劣らず重要なことは、その空間の尺度がある度までは自由に変えられることである。広大な戦場や都市を空中写真によって圧縮してスクリーンのわく内に収めることもできれば、スターの片方の目だけを同じスクリーンいっぱいに写し出すこともできる。従って・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・そういうものが後代に愛読され尊重されるのは、必ずしもそれが「文章」であるためではなくて、それが「記録」であるためであろう。殿上の名もない一女官がおぼつかない筆で書いた日記体のものでも、それが忠実な記録であるために実証的の価値があり同時にそこ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・しかしそのつもりで後代の風俗絵巻物でも細かに研究してみたらやはり各時代に同様な現象を発見するのではないかとも想像される。 鳥羽僧正の鳥獣戯画なども当時のスポーツやいろいろの享楽生活のカリカチュアと思って見ればこの僧正はやはり一種のカメラ・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
出典:青空文庫