・・・当時作る所の『波』一篇は、白秋氏に激賞され、後選ばれて、アルス社『日本児童詩集』にのりました。父が死んだ年、兄は某中学校に教べんを取りました。父の死は肺病の為でもあったのですが、震災で土佐国から連れてきた祖父を死なし、又祖父を連れてくる際の・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・バイロンは十八歳で処女詩集を出版している。シルレルもまた十八歳、「群盗」に筆を染めた。ダンテは九歳にして「新生」の腹案を得たのである。彼もまた。小学校のときからその文章をうたわれ、いまは智識ある異国人にさえ若干の頭脳を認められている彼もまた・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・山岸さんに教えられて、やがて立派な詩集を出し、世の達識の士の推頌を得ている若い詩人が已に二、三人あるようだ。「三田君は、どうです。」とその頃、私は山岸さんに尋ねた事がある。 山岸さんは、ちょっと考えてから、こう言った。「いいほう・・・ 太宰治 「散華」
・・・胸のところに、小さい白い薔薇の花を刺繍して置いた。上衣を着ちゃうと、この刺繍見えなくなる。誰にもわからない。得意である。 お母さん、誰かの縁談のために大童、朝早くからお出掛け。私の小さい時からお母さんは、人のために尽すので、なれっこだけ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・ますが、しかし、その問題にされ方が、如何に私がダメな男であるか、おそらくは日本で何人と数えられるほどダメな男ではなかろうか、という事に就いて問題にされたのでありまして、その頃、私の代表作と言われていた詩集の題は、「われ、あまりに愚かしければ・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・女学生が、読めもしないフランス語の詩集を持って歩いているのと、ずいぶん似ている。あわれな、おていさいである。パラパラ、頁をめくっていって、ふと、「汝もし己が心裡に安静を得る能わずば、他処に之を求むるは徒労のみ。」というれいの一句を見つけて、・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・ども、恋人の森ちゃんは、いつも文学の本を一冊か二冊、ハンドバッグの中に入れて持って歩いて、そうしてけさの、井の頭公園のあいびきの時も、レエルモントフとかいう、二十八歳で決闘して倒れたロシヤの天才詩人の詩集を鶴に読んで聞かせて、詩などには、ち・・・ 太宰治 「犯人」
・・・ ちらと見ると、浅黄色のちりめんに、銀糸の芒が、雁の列のように刺繍されてある古めかしい半襟であった。「晴れないかな。」そろそろポオズが、よみがえって来ていた。「ええ。お草履じゃ、たいへんでしょう。」「よし。のもう。」 そ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・お月さまの拡大写真を見て、吐きそうになったことがあります。刺繍でも、図柄に依っては、とても我慢できなくなるものがあります。そんなに皮膚のやまいを嫌っているので、自然と用心深く、いままで、ほとんど吹出物の経験なぞ無かったのです。そうして結婚し・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・馬鹿と面罵するより他に仕様のなかった男、エリオットの、文学論集をわざと骨折って読み、伊東静雄の詩集、「わがひとに与ふる哀歌。」を保田与重郎が送ってくれ、わがひととは、私のことだときめて再読、そのほか、ダヴィンチ、ミケランジェロの評伝、おのお・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
出典:青空文庫