・・・海は程近くあるということだけが、空の色、松風の音で分るが、まだ海の姿は見えなかった。私は、松並木のある、長い通りを往ったり、来たりして、何の宿屋に泊ろうかと思った。ちょうど、一軒の一品料理店の前に、赤い旗が下っていた。其の店頭に立っていた女・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・今更に何をか嘆かむ打ち靡き心は君に依りにしものを 調和した安らかな老夫婦は実に美しく松風に琴の音の添うような趣きがあって日本的の尊さである。 君臣、師弟、朋友の結合も素より忍耐と操持とをもってではあるが終わりを全うするも・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・浅虫というところまで村々皆磯辺にて、松風の音、岸波の響のみなり。海の中に「ついたて」めきたる巌あり、その外しるすべきことなし。小湊にてやどりぬ。このあたりあさのとりいれにて、いそがしぶる乙女のなまじいに紅染のゆもじしたるもおかしきに、いとか・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・今の漫画は俳諧ならば談林風のたわけを尽くしている時代に相当する、遠からず漫画の「正風」を興すものがかえって海のかなたから生まれはしないかという気もする。ほんとうはこれこそ日本人の当然手を着けるべき領域であろう。 映画と国民性・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・たりしながらいわゆる正風を振興したのであった。現在のチューインガムも、それが噛み尽されて八万四千の毛孔から滲み出す頃には、また別な新しい日本文化となって栄えるのかもしれないのである。 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・それはもちろん風雅の心をもって臨んだ七情万景であり、乾坤の変であるが、しかもそれは不易にして流行のただ中を得たものであり、虚実の境に出入し逍遙するものであろうとするのが蕉門正風のねらいどころである。 不易流行や虚実の弁については古往今来・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・成島柳北が仮名交りの文体をそのままに模倣したり剽窃したりした間々に漢詩の七言絶句を挿み、自叙体の主人公をば遊子とか小史とか名付けて、薄倖多病の才人が都門の栄華を外にして海辺の茅屋に松風を聴くという仮設的哀愁の生活をば、いかにも稚気を帯びた調・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・境内の碑をさぐる事も出来ず、鳥居前の曲った小道に、松風のさびしい音をききながら、もと来た一本道へと踵を回らした。 小笹と枯芒の繁った道端に、生垣を囲した茅葺の農家と、近頃建てたらしい二軒つづきの平家の貸家があった。わたくしはこんな淋しい・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・しかし翻って考えて見ると、子の死を悲む余も遠からず同じ運命に服従せねばならぬ、悲むものも悲まれるものも同じ青山の土塊と化して、ただ松風虫鳴のあるあり、いずれを先、いずれを後とも、分け難いのが人生の常である。永久なる時の上から考えて見れば、何・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・たまたま変例と見るべきものもなお行春や鳥啼き魚の目は涙 芭蕉松風の落葉か水の音涼し 同松杉をほめてや風の薫る音 同のごときものにして多くは「や」「か」等の切字を含み、しからざるも七音の句必ず四三または三四と切れ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫