・・・大将雪隠へ這入るのに火鉢を持って這入る。雪隠へ火鉢を持って行ったとて当る事が出来ないじゃないかというと、いや当り前にするときん隠しが邪魔になっていかぬから、後ろ向きになって前に火鉢を置いて当るのじゃという。それで其火鉢で牛肉をじゃあじゃあ煮・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
上 仙台の師団に居らしッた西田若子さんの御兄いさんが、今度戦地へ行らッしゃるので、新宿の停車場を御通過りなさるから、私も若子さんと御同伴に御見送に行って見ました。 寒い寒い朝、耳朶が千断れそうで、靴の裏が路上に凍着くのでした・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・その夜の話は皆上陸後の希望ばかりで、長く戦地に居た人は、早く日本の肴が喰いたい、早く日本の蒲団に寝たい、などといって居る。早く妻君の顔が見たいと思うて居るのも二人や三人はあるらしい。翌日は彦島へ上って風呂にはいった。着物も消毒してもろうた。・・・ 正岡子規 「病」
・・・某誌が軍部御用の先頭に立っていた時分、良人や息子や兄弟を戦地に送り出したあとのさびしい夜の灯の下であの雑誌を読み、せめてそこから日本軍の勝利を信じるきっかけをみつけ出そうとしていた日本の数十万の婦人たちは、なにも軍部の侵略計画に賛成していた・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・拘禁生活をさせられていた人々ばかりでなく、どっさりの人は戦地におくられて、通信の自由でなかった家郷の愛するものの生死からひきはなされて、自分たちの生命の明日を知らされなかった。 きょう読みかえしてみると、日本の戦争進行の程度につれて・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・ホウ、一センチ七ばかりですね。二センチもないじゃないか。御満悦の態である。私も勿論大変うれしい。切ったとき傷は六センチぐらいあったのが、そんなに小さくちぢんだ。癒せるものなら人間の体へは出来るだけ小さく傷をつけるというのが、木村先生のモット・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・そして、その負傷のしかたが、突撃中ではなく、而もいかにもまざまざと戦地の中に置かれた身の姿を思い描かしめるような事情においてであった。謂わば平凡な文字の上に、暗い河北省の闇とそこに閃く光が濃く且つ鋭く走ったような事情である。 あの顔に向・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・ 工場から、戦地慰問に特派された男女労働者の代表は、新聞に短い労働者通信をのせた。然しプロレタリア作家団体はどんな組織的活動もしなかった。赤軍文化教育部と、プロレタリア作家団体とはきっちり結び合っていなかった。工場がしたように、代表を送・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・新らしい仕事でひどく気づかれしながらも、よろこびや誇りは秘かに感じているであろう。戦地からかえって来て、町の×子がそうやってバスを動かしている姿にヤアと目を瞠る青年たちの顔々も見えるようだ。だけれども、男手が再び出来たとき、今バスを運転して・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・一九一七年の三月八日には、そのころペトログラードとよばれていたいまのレーニングラードの婦人紡績労働者たちが「パンを与えよ。戦地から夫をかえせ」とデモを行って、ロシアのプロレタリア革命への口火となった二月の革命ののろしをあげた。 第二・・・ 宮本百合子 「婦人デーとひな祭」
出典:青空文庫