・・・もし青年が青年の心のままを書いてくれたならば、私はこれを大切にして年の終りになったら立派に表装して、私の Libraryのなかのもっとも価値あるものとして遺しておきましょうと申しました。それからその雑誌はだいぶ改良されたようであります。それ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・名前はコンスタンチェとして、その下に書いた苗字を読める位に消してある。 この手紙を書いた女は、手紙を出してしまうと、直ぐに町へ行って、銃を売る店を尋ねた。そして笑談のように、軽い、好い拳銃を買いたいと云った。それから段々話し込んで、に尾・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・が、そういう者は例外として、真に子供の為めに尽した母に対してはその子供は永久にその愛を忘れる事が出来ない。そして、子供は生長して社会に立つようになっても、母から云い含められた教訓を思えば、如何なる場合にも悪事を為し得ないのは事実である。何時・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・が、それはまだ我慢もできるとして、どうにもこうにも我慢のできないのは、少し寝床の中が暖まるとともに、蚤だか虱だか、ザワザワザワザワと体じゅうを刺し廻るのだ。私が体ばかり豌々させているのを見て、隣の櫛巻がまた教えてくれた。「お前さん、こん・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・縮緬の着物の色合摸様まで歴々と見えるのだ、がしかし今時分、こんなところへ女の来る道理がないから、不思議に思ってよく見ようとするが、奇妙に、その紫色の帯の処までは、辛うじて見えるが、それから上は、見ようとして、幾ら身を悶掻いても見る事が出来な・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・ 私はむかむかッとして来た、筆蹟くらいで、人間の値打ちがわかってたまるものか、近頃の女はなぜこんな風に、なにかと言えば教養だとか、筆蹟だとか、知性だとか、月並みな符号を使って人を批評したがるのかと、うんざりした。「奥さんは字がお上手・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・それよりも更と不思議なは、忽然として万籟死して鯨波もしなければ、銃声も聞えず、音という音は皆消失せて、唯何やら前面が蒼いと思たのは、大方空であったのだろう。頓て其蒼いのも朦朧となって了った…… どうも変さな、何でも伏臥になって居るら・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ ――無気力な彼の考え方としては、結局またこんな処へ落ちて来るということは寧ろ自然なことであらねばならなかった。(魔法使いの婆さんがあって、婆さんは方々からいろ/\な種類の悪魔を生捕って来ては、魔法で以て悪魔の通力を奪って了う。そして自・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・しかしそう言ったとき喬に、ひょっとしてあれじゃないだろうか、という考えが閃いた。 でも真逆、母は知ってはいないだろう、と気強く思い返して、夢のなかの喬は「ね! お母さん!」と母を責めた。 母は弱らされていた。が、しばらくしてとう・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・前を遶る渓河の水は、淙々として遠く流れ行く。かなたの森に鳴くは鶇か。 朝夕のたつきも知らざりし山中も、年々の避暑の客に思わぬ煙を増して、瓦葺きの家も木の葉越しにところどころ見ゆ。尾上に雲あり、ひときわ高き松が根に起りて、巌にからむ蔦の上・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫