・・・ いちばん珍しいのは空をおおうて飛翔する蝗の大群である。これは写真としてはリリュストラシオンのさし絵で見た事はあったが、これが映画になったのはおそらく今度が始めてであり、ことに発声映画としてはこれがレコードであるにちがいない。蝗の羽音が・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・その一方ではまた、自分の田舎では人間の食うものと思われていない蝗の佃煮をうまそうに食っている江戸っ子の児童もあって、これにもまたちがった意味での驚異の目を見張ったのであった。 始めて飲んだ牛乳はやはり飲みにくい「おくすり」であったらしい・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・その結果があの角ばったりんごになったのではあるまいか。 こんなさまざまの事を考えながら、毎日熱心に顔を見つめてはかいていると、自分の顔のみならず、だれでも対している人の顔が一つの立体でなくて画布に表われた絵のように見えて来た。人と対話し・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・その証拠には今試みに芝生に足を入れると、そこからは小さな土色のばったや蛾のようなものが群がって飛び出した。こおろぎや蜘蛛や蟻やその他名も知らない昆虫の繁華な都が、虫の目から見たら天を摩するような緑色の尖塔の林の下に発展していた。 この動・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・窓の下框には扁柏の高いこずえが見えて、その上には今目ざめたような裏山がのぞいている。床はそのままに、そっと抜け出して運動場へおりると、広い芝生は露を浴びて、素足につっかけた兵隊靴をぬらす。ばったが驚いて飛び出す羽音も快い。芝・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・のまわりには敵の小船が蝗のごとく群がって、投げ槍や矢が飛びちがい、青い刃がひらめいた。盾に鳴る鋼の音は叫喊の声に和して、傷ついた人は底知れぬ海に落ちて行った。……王の射手エーナール・タンバルスケルヴェはエリック伯をねらって矢を送ると、伯の頭・・・ 寺田寅彦 「春寒」
・・・忠君忠義――忠義顔する者は夥しいが、進退伺を出して恐懼恐懼と米つきばったの真似をする者はあるが、御歌所に干渉して朝鮮人に愛想をふりまく悧口者はあるが、どこに陛下の人格を敬愛してますます徳に進ませ玉うように希う真の忠臣があるか。どこに不忠の嫌・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 四人の、けらを着た百姓たちが、山刀や三本鍬や唐鍬や、すべて山と野原の武器を堅くからだにしばりつけて、東の稜ばった燧石の山を越えて、のっしのっしと、この森にかこまれた小さな野原にやって来ました。よくみるとみんな大きな刀もさしていたのです・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・ 今日男女の青年たちの或るものが、形式ばった挨拶だけは上手で、一向に公徳心も、若者らしいやさしさもない心でいるのは、形式一点ばりであった軍事的教育の害悪です。 女の子だからと云って、女のくせに、と禁止ばかり多い育てかたをする時代・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・が出来そうにまで、舌苔の様なものをつけさせた上にこんな事までして行ったかと思うと、あの髪のちりちりの四角ばった頭の女が憎々しく思い出される。 母が何か少し差図めいた事を云うと、すぐ変な顔をし万事のみこんで居ますと云う様な態度が、居る時か・・・ 宮本百合子 「一日」
出典:青空文庫