みやけかほ【三宅花圃】
[1869〜1943]歌人・小説家。東京の生まれ。本名、竜子。雪嶺の妻。中島歌子に和歌を学んだ。小説「藪 (やぶ) の鶯 (うぐいす) 」「萩桔梗 (はぎききょう) 」など。
みやけかんらん【三宅観瀾】
[1674〜1718]江戸中期の儒学者。京都の人。名は緝明 (しゅうめい) 。浅見絅斎 (あさみけいさい) ・木下順庵に学び、徳川光圀に招かれて「大日本史」の編纂に協力した。のち、幕臣として活躍。著「中興鑑言」など。
みやけこっき【三宅克己】
[1874〜1954]洋画家。徳島の生まれ。光風会の結成に参加。早くから水彩画に専念。
みやけしゅうたろう【三宅周太郎】
[1892〜1967]演劇評論家。兵庫の生まれ。歌舞伎・文楽の劇評は、穏健・公平と評された。没後、芸術院恩賜賞。著作に「文楽の研究」「演劇巡礼」「観劇半世紀」など。
みやけしょうさい【三宅尚斎】
[1662〜1741]江戸中期の儒学者。播磨 (はりま) の人。名は重固。山崎闇斎に学び、佐藤直方・浅見絅斎 (あさみけいさい) と並んで崎門 (きもん) 三傑の一人と称された。のち、京都に私塾を開いて多くの門人を擁した。著「黙識録」など。
みやけしょうざん【三宅嘯山】
[1718〜1801]江戸中期の俳人・儒学者。京都の人。名は芳隆。字 (あざな) は之元。別号、葎亭 (りってい) など。俳諧に長じ、炭太祇・与謝蕪村らと交わり、独自の俳境を開いた。編著「俳諧古選」「俳諧新選」、漢詩「嘯山詩集」など。
みやけせつれい【三宅雪嶺】
[1860〜1945]思想家・評論家。石川の生まれ。本名、雄二郎。政教社を創立、雑誌「日本人」を創刊し、欧化主義と藩閥政治を批判。また、多数の社会時評・人生論などを発表した。文化勲章受章。著「我観小景」「真善美日本人」「同時代史」など。
みやけだいすけ【三宅大輔】
[1893〜1978]野球選手・監督。東京の生まれ。慶大の捕手として活躍。昭和9年(1934)メジャーリーグ選抜チームとの対戦では全日本チームの監督となり、翌年、大日本東京野球倶楽部 (クラブ) (巨人の前身)の初代監督。戦後は野球評論に力を入れた。
みやけよねきち【三宅米吉】
[1860〜1929]歴史学者・教育家。和歌山の生まれ。東京高等師範学校長・帝室博物館総長などを歴任。著「日本史学提要」「考古学研究」など。
みやけびょう【三宅病】
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