・・・そしてめそめそと泣き続けていた。 夫婦が行き着いたのは国道を十町も倶知安の方に来た左手の岡の上にある村の共同墓地だった。そこの上からは松川農場を一面に見渡して、ルベシベ、ニセコアンの連山も川向いの昆布岳も手に取るようだった。夏の夜の透明・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・一意意味もわからず、素読するのであるが、よく母から鋭く叱られてめそめそ泣いたことを記憶している。父はしかしこれからの人間は外国人を相手にするのであるから外国語の必要があるというので、私は六つ七つの時から外国人といっしょにいて、学校も外国人の・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・ めそめそ泣くような質ではないので、石も、日も、少しずつ積りました。 ――さあ、その残暑の、朝から、旱りつけます中へ、端書が来ましてね。――落目もこうなると、めったに手紙なんぞ覗いた事のないのに、至急、と朱がきのしてあったのを覚・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 宗吉は、跣足で、めそめそ泣きながら後を追った。 目も心も真暗で、町も処も覚えない。颯と一条の冷い風が、電燈の細い光に桜を誘った時である。「旦那。」 とお千が立停まって、「宗ちゃん――宗ちゃん。」 振向きもしないで、・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・僕がめそめそして居ったでは、母の苦しみは増すばかりと気がついた。それから一心に自分で自分を励まし、元気をよそおうてひたすら母を慰める工夫をした。それでも心にない事は仕方のないもの、母はいつしかそれと気がついてる様子、そうなっては僕が家に居な・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ めそめそ泣いている赤んぼを背負ったおかみさんは、ランプをつけながら、「苦しそうだ、水をあげようか。」と振り向いた。文公は頭を横に振った。「水よりかこのほうがいい、これなら元気がつく」と三人の一人の大男が言った。この男はこの店に・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・ただ母に急に別れたので、その当坐の悲しさ、一月二月は叔母の家にいても、どうかすると人の見ぬところで、めそめそ泣いておりました。 月日の経つうちに悲しみもだんだん薄らぎ、しまいには時々思い出すぐらいのことで、叔母の親切にほだされ、いつしか・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・暗い電気の下で兄は、私にあちこちの引き出しをあけさせ、いろいろの手紙や、ノオトブックを破り棄てさせ、私が、言いつけられたとおり、それをばりばり破りながらめそめそ泣いているのを、兄は不思議そうに眺めているのでした。私は、世の中に、たった私たち・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・出征の兵隊さんを、人ごみの陰から、こっそり覗いて、ただ、めそめそ泣いていたこともある。私は丙種である。劣等の体格を持って生れた。鉄棒にぶらさがっても、そのまま、ただぶらんとさがっているだけで、なんの曲芸も動作もできない。ラジオ体操さえ、私に・・・ 太宰治 「鴎」
・・・ああ、めそめそしたことを書いて御免下さい。私は、その夜の五円を、極めて有効に、一点濁らず、使用いたしました。生涯の記念として、いまなお、その折のメモを失くさず、『青い鞭』のペエジの間にはさんで蔵して在るのです。三銭切手十枚、三十銭。南京豆、・・・ 太宰治 「虚構の春」
出典:青空文庫