・・・銀座の商店の改良と銀座の街の敷石とは、将来如何なる進化の道によって、浴衣に兵児帯をしめた夕凉の人の姿と、唐傘に高足駄を穿いた通行人との調和を取るに至るであろうか。交詢社の広間に行くと、希臘風の人物を描いた「神の森」の壁画の下に、五ツ紋の紳士・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・畑のめぐりには蜀黍をぎっしり蒔いた。麦が刈られてからは日は暑くなる。西瓜の嫩葉は赤蠅が来て甞めてしまうので太十は畑へつききりにしてそれを防いだ。敏捷な赤蠅はけはいを覗って飛び去るので容易に捕ることが出来ない。太十は朝まだ草葉の露のあるうちに・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・二番目のはずいぶんふるった道楽ものだった。唐棧の着物なんか着て芸者買いやら吉原通いにさんざん使ってこれも死んだ。三番目のが今、無事で牛込にいる。しかし馬場下の家にではない。馬場下の家は他人の所有になってから久しいものだ。 僕はこんなずぼ・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・一 婦人は夫の家を我家とする故に唐土には嫁を帰るといふなり。仮令夫の家貧賤成共夫を怨むべからず。天より我に与へ給へる家の貧は我仕合のあしき故なりと思ひ、一度嫁しては其家を出ざるを女の道とする事、古聖人の訓也。若し女の道に背き、去・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・国民にして政治の思想なきは、唐虞三代の愚民にして、名は人民なるもその実は豚羊に異ならず。ともに国を守るに足らざるものなれば、いやしくも国を思うの丹心あらんものは、内外の政治に注意せざるべからず。 政治の事、はなはだ大切なりといえども、こ・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ 唐きびのからでたく湯や山の宿 奥の一間に請ぜられすすびたる行燈の陰に餉したため終れば板のごとき蒲団を敷きたり。労れたるままに臥しまろびて足をひねりなどするに身動きにつれてぎしぎしと床のゆるぎたる心もとなき心地す。店の方には男の・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・されば唐時代の文学より悟入したる芭蕉は俳句の上に消極の意匠を用うること多く、従って後世芭蕉派と称する者また多くこれに倣う。その寂といい、雅といい、幽玄といい、細みといい、もって美の極となすもの、ことごとく消極的ならざるはなし。ゆえに俳句を学・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ところがそれはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込まれてしまうような気がするのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。「おや、こい・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・荷物をおろし、おまえは汗を拭 園丁がこてをさげて青い上着の袖で額の汗を拭きながら向うの黒い独乙唐檜の茂みの中から出て来ます。「何のご用ですか。」「私は洋傘直しですが何かご用はありませんか。若しまた何か鋏でも研ぐのがありましたらそ・・・ 宮沢賢治 「チュウリップの幻術」
・・・におられたころ幾つかの絵でおなじみの矢部友衛さん、岡本唐貴さん、寺島貞志さんその他の方々が、現実会の会員として、あの展覧会に出されていた作品は、あの頃と今日と十数年の間に、日本のすべての芸術家が人生の現実と芸術上のリアリズムの問題とでどんな・・・ 宮本百合子 「第一回日本アンデパンダン展批評」
出典:青空文庫