去年の春の夜、――と云ってもまだ風の寒い、月の冴えた夜の九時ごろ、保吉は三人の友だちと、魚河岸の往来を歩いていた。三人の友だちとは、俳人の露柴、洋画家の風中、蒔画師の如丹、――三人とも本名は明さないが、その道では知られた腕・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・ 小杉氏の画は洋画も南画も、同じように物柔かである。が、決して軽快ではない。何時も妙に寂しそうな、薄ら寒い影が纏わっている。僕は其処に僕等同様、近代の風に神経を吹かれた小杉氏の姿を見るような気がする。気取った形容を用いれば、梅花書屋の窓・・・ 芥川竜之介 「小杉未醒氏」
・・・しかし僕のなりたかったのはナポレオンの肖像だのライオンだのを描く洋画家だった。 僕が当時買い集めた西洋名画の写真版はいまだに何枚か残っている。僕は近ごろ何かのついでにそれらの写真版に目を通した。するとそれらの一枚は、樹下に金髪の美人を立・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・それはある年の若い金持ちの息子の洋画家だった。彼はわたしの元気のないのを見、旅行に出ることを勧めたりした。「金の工面などはどうにでもなる。」――そうも親切に言ってくれたりした。が、たとい旅行に行っても、わたしの憂鬱の癒らないことはわたし自身・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・ 巨匠にして、超人と称えらるる、ある洋画家が、わが、名によって、お誓をひき寄せ、銑吉を傍にして、「お誓さんに是非というのだ、この人に酌をしておあげなさい。」「はい。」 が、また娘分に仕立てられても、奉公人の謙譲があって、出過・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・何しろ明治二、三年頃、江漢系統の洋画家ですら西洋の新聞画をだも碌々見たものが少なかった時代だから、忽ち東京中の大評判となって、当時の新らし物好きの文明開化人を初め大官貴紳までが見物に来た。人気の盛んなのは今日の帝展どころでなかった。油画の元・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・その晩は洋画家のF氏も遊びに来た。酒飲みは私一人であった。浪子夫人がお酌をしてくれた。私は愉快に酔った。十一時近くになって皆なで町へお汁粉をたべに行った。私は彼らのたべるのをただ見ていた。大仏通りの方でF氏と別れて、しめっぽい五月の闇の中を・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・ 水車場を過ぎて間もなく橋あり、長さよりも幅のかた広く、欄の高さは腰かくるにも足らず、これを渡りてまた林の間を行けばたちまち町の中ほどに出ず、こは都にて開かるる洋画展覧会などの出品の中にてよく見受くる田舎町の一つなれば、茅屋と瓦屋と打ち・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ 震災以来、しばらく休みの姿であった洋画の研究所へも、またポツポツ研究生の集まって行くころであった。そこから三郎が目を光らせて帰って来るたびにいつでも同じ人のうわさをした。「僕らの研究所にはおもしろい人がいるよ。『早川賢だけは、生か・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・日下部といって塾のためには忠実な教員も出来たし、洋画家の泉も一週に一日か二日程ずつは小県の自宅の方から通って来てくれる。しかし以前のような賑かな笑い声は次第に減って行った。皆な黙って働くように成った。 教員室は以前の幹事室兼帯でも手狭な・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫