・・・芭蕉のごときはそれがかなりよくできる人であったことは以上の乏しい例証からもうかがわれる。芭蕉の辞世と称せられる「夢は枯れ野をかけ回る」という言葉が私にはなんとなくここに述べた理論の光のもとにまた特別な意味をもって響いて来るのである。彼はこの・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・この経験については既に小説『冷笑』と『父の恩』との中に細叙してあるから、ここに贅せない。 毎年冬も十二月になってから、青々と晴れわたる空の色と、燈火のような黄いろい夕日の影とを見ると、わたくしは西洋の詩文には見ることを得ない特種の感情を・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ 江戸時代隅田堤看花の盛況を述るものは、大抵寺門静軒が『江戸繁昌記』を引用してこれが例証となしている。風俗画報社の『新撰東京名所図会』もまた『江戸繁昌記』を引きこれを補うに加藤善庵が『墨水観花記』を以てしている。わたくしは塩谷宕陰の文集・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・やっぱり気取っているんだと冷笑するかも知れぬ。子規は冷笑が好きな男であった。 若い坊さんが「御湯に御這入り」と云う。主人と居士は余が顫えているのを見兼て「公、まず這入れ」と云う。加茂の水の透き徹るなかに全身を浸けたときは歯の根が合わぬく・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・の観念は毫も頭を擡げる余地を見出し得ない訳ですから、たとい道徳的批判を下すべき分子が混入してくる事件についても、これを徳義的に解釈しないで、徳義とはまるで関係のない滑稽とのみ見る事もできるものだと云う例証になります。けれどももし倫理的の分子・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・ 人は私の物語を冷笑して、詩人の病的な錯覚であり、愚にもつかない妄想の幻影だと言う。だが私は、たしかに猫ばかりの住んでる町、猫が人間の姿をして、街路に群集している町を見たのである。理窟や議論はどうにもあれ、宇宙の或る何所かで、私がそれを・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・と、小万がじッと吉里を見つめた眼には、少しは冷笑を含んでいるようであッた。「まアそんなもんさねえ」と、吉里は軽く受け、「小万さん、私しゃお前さんに頼みたいことがあるんだよ」「頼みたいことッて」 吉里は懐中から手紙を十四五本包んだ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・その忠告者をば内心に軽侮し、因循姑息の頑物なりとてただ冷笑したるのみのことならん。 されば我々年少なりといえども、二十年前の君の齢にひとし。我々の挙動、軽躁なりというも、二十年前の君に比すれば、深く譴責を蒙るの理なし。ただし、君は旧幕府・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・とあるがゆえに、中学校、師範学校の教師が、本書を講ずるときに、種々様々の例証を引用して、学生の徳行を導くことならん。ずいぶん易からざる業なれども、しばらく実際に行わるべきものとしてこれにしたがうも、なお遺憾なきを得ず。 そもそも本書全面・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・精神と肉体とが一致し、感情は理性とともにある行為の美しさへの招集と、善は美であり得るという事実についてのいくとおりかの例証がある。 一九四九年八月一日 追記 この集の編輯が終り、再校が出てしまってから、ふとわたし・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十五巻)」
出典:青空文庫