・・・の調子は、そのメロディーを失って熱いテムポにかわった。情感へのアッピールの調子から理性への説得にうつった。 この時期の評論が、どのように当時の世界革命文学の理論の段階を反映し、日本の独自な潰走の情熱とたたかっているかということについての・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・従って詩吟という一つの朗吟法が持っているメロディーは非常に緊迫した悲愴の味であり、テムポから云えば当然昔の武士が腰に大小を挾み、袴の裾をさばきながら、体を左右に大きく振り頭を擡げてゆっくり歩きながら吟じられるように出来ている。詩吟とはそうい・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・母国語を奪われているということについて、ショパンは彼の音楽でどんなメロディーを訴えたろう。マダム・キュリーは小学生だったとき、奪われている母国語についてどんな痛苦を経験したろうか。ワンダ・ワシレフスカヤの文学は、ポーランドの人々が真に人民の・・・ 宮本百合子 「三年たった今日」
・・・彼の哀愁にみち、生きる目的を見失った、旧きロシアの魂のメロディーをくつがえす詩は、一部の人にもてはやされた。そしてある種の外国人はソヴェト文学はファデーエフやショーロホフによって代表されるという概括に反対して、いや、今でもエセーニンの人気は・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・古い天皇制的な祝日が民主的な人民の祝日にかわろうとしている時、メーデーの歌が素朴な明るいメロディーをもって、人に知られない着実な生活をいとなんでいる主婦の一人である坂井照子さんによって作曲されたことも忘れられません。あの「町から村から工場か・・・ 宮本百合子 「一九四七・八年の文壇」
・・・その作品の第一回の三分の一ぐらいは、いかにもこの作者らしいメロディーでその文章は身をよじり、魂の声を訴えようとヴァイオリンの絃のごとき音を立てている。その部分では高見順はまるで縷々として耳をつらぬき、心をつらぬかずんば、というような密度のき・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・タータタタと空に響くオルガンのメロディーにつれて、えび茶や紫紺の袴をつけた六十人ほどの少女が、向い会って、いっせいにヨーロッパ風に膝をかがめ、舞踏の挨拶をするのであった。その運動場は、トタン塀にかこまれていて、黒板塀の方に桜の樹が並んでいた・・・ 宮本百合子 「藤棚」
・・・耳にこころよいメロディーというものも、その人の全生活の内容、個々の生活の営まれている方向とのつながりをもっている。だからどんな音でもきこえて来る音に対しては受け身で、いわゆる無意識にきき流し、どんな習俗でもそれがはやりなら無意識にまねをする・・・ 宮本百合子 「文学と生活」
・・・でも、一抹の楽天的な響が心のどこかにあって、一つの美しく高い歌のメロディーが甦って来る。ドン・キホーテが、彼の大切な騎士物語の本たちを焼かれたとき、ドン・キホーテは何と歌ってサンチョを慰めてやったろう。「サンチョよ、泣くな、私の本は失われて・・・ 宮本百合子 「本棚」
・・・ のびのびとラジオから流れるメーデーの歌のメロディーをきいていると、わたしの目の前には、十余年前のメーデーの日の光景がまざまざと浮んで来た。 その年の五月一日は割合曇って、風の寒いような日であった。私たちは江戸橋のそばに佇んで、昭和・・・ 宮本百合子 「メーデーに歌う」
出典:青空文庫