・・・と差出したのは封紙のない手紙である、大友は不審に思い、開き見ると、前略我等両人当所に於て君を待つこと久しとは申兼候え共、本日御投宿と聞いて愉快に堪えず、女中に命じて膳部を弊室に御運搬の上、大いに語り度く願い候神崎朝田・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・だが、納屋の蓆の下にでもかくしてあると思っていたものを、誰れの目にもつき易い台所に置いてあるのが、どういう訳か、清吉には一寸不審だった。 彼は返えす筈だった二反を風呂敷包から出して、自分の敷布団の下にかくした。出したあとの風呂敷包は、丁・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・思いがけなしで、何かと、ばあさんは不審そうに嫁の顔を見上げた。「そんな田舎縞を着ずに、こしらえてあげた着物を着なされ。」と、嫁より少しおくれて二階へ行きながら清三が云った。 ばあさんは、じいさんの前で包みを開けて見た。両人には派手す・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・これについても、不審があります。たとえば、絶対収斂の場合、昔は順序に無関係に和が定るという意味に用いられていました。それに対して条件的という語がある。今では、絶対値の級数が収斂する意味に使うのです。級数が収斂し、絶対値の級数が収斂しないとき・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・スの三角帽やら仮面やら、デコレーションケーキやら七面鳥まで持ち込んで来て、四方に電話を掛けさせ、お知合いの方たちを呼び集め、大宴会をひらいて、いつもちっともお金を持っていない人なのにと、バーのマダムが不審がって、そっと問いただしてみたら、夫・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・どうしたんだろう、奥には誰もいぬはずだがと思って、不審にしてしばらく聞いていたです。すると、その叫び声はいよいよ高くなりますし、誰か来てくれ! と言う声が聞こえますから、来てみたんです。脚気ですナ、脚気衝心ですナ」 「衝心?」 「と・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ B氏は私の不審がっているのを面白そうに眺めるだけで、何の説明も与えてくれない。「まあ少し待ってくれ給え」と云っている。 奧の間からこの家の主婦が出て来た。髪が真黒で顔も西洋人にしてはかなり浅黒く、目鼻立ちもほとんど日本人のようであ・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・発電所から流れ出す水流の静かさを見て子供らが不審がる。水はそのありたけの勢力を機械に搾取されて、すっかりくたびれ果てて、よろよろと出て来るのである。しかし水は労働争議などという言葉は夢にも知らない。 人間は自然を征服し自然を駆使している・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・ 女房は、すこし、不審かしそうに、利平の顔を見た。「かまやしないじゃないの、あんな恩知らずだもの」「ウム、そりゃそうだが!」 彼は、女房の手を離れて、這い出して来た五人目の女の児を、片手であやしながら、窓障子の隙から見える黒・・・ 徳永直 「眼」
・・・とアーサーは王妃の方を見て不審の顔付である。「美しき少女!」とギニヴィアは三たびエレーンの名を繰り返す。このたびは鋭どき声にあらず。去りとては憐を寄せたりとも見えず。 アーサーは椅子に倚る身を半ば回らしていう。「御身とわれと始めて逢・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫