・・・櫛比した宿屋と宿屋との軒のあわいを、乗合自動車がすれすれに通るのであるから、太い木綿縞のドテラの上に小さい丸髷の後姿で、横から見ると、ドテラになってもなおその襟に大輪の黄菊をつけている一群は、あわてて一列縦隊をつくり、宿屋の店先へすりついて・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・ 小さい根下りの丸髷に結って、帯をいつもひっかけにしめているおゆきは、その家で縫物をしていた。おゆきが針箱やたち板を出しかけている部屋のそとに濡れ縁があって、ちょいとした空地に盆栽棚がつくられていた。西日のさしこむ軒に竹すだれがかかり、・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・前に立って飽かれた妻が重そうな丸髷を傾け、「猿公、旦はんどこへ行かはったか知らんか」と訊いている。―― 絵物語の女が桃龍自身の通り大きな鼻をもっているところ、境遇的な感じ方で描くところ、若い女らしいものが流露していてそれが桃龍だ・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・御母上様が丸髷でお手をちゃんとそろえ、いかにも「……ちょります」という風におうつりです。達治さんはすこし人に当てられ気味の表情です。幟がいく本も立っている。私の分としてこしらえて下さったという黄色いメリンスのというのはどれだろう、これがすこ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・紫の紋羽二重の羽織に丸髷で、母のところへ挨拶につれて来られても、母に何か云ってくってかかった。このときも、母は非常におこった。お前にこそ、富樫でも大事な御亭主だろうが、このひろい世間で、あんな男一匹が、という風に、母は啖呵をきった。一刻もう・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・ むこう向きに赤い手柄の丸髷が揺れている。連れの、香油をつけて分けた頭が見える。 睡っている連中が多い。それだもんで、喋っている一組の男の声だけがさっきから、車輪の響きや短い橋梁をわたるゴッという音の合間に私のところまで聞えて来るの・・・ 宮本百合子 「東京へ近づく一時間」
・・・首をこごめて往来をのぞくと、右手に畳を縫って居る職人、向側の塵埃っぽい大硝子窓の奥で針を働して居る洋服工、つい俥の下で逃げ出す鶏を見乍ら丸髷に結った女と喋って居る若者迄悉く支那人だ。道のつき当りから山手にかかって、遙か高みの新緑の間に、さっ・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・それも真白な髪を小さい丸髷に結っていて、爺いさんに負けぬように品格が好い。それまでは久右衛門方の勝手から膳を運んでいたのに、婆あさんが来て、爺いさんと自分との食べる物を、子供がまま事をするような工合に拵えることになった。 この翁媼二人の・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・下太りのかぼちゃのように黄いろい顔で頭のてっぺんには、油固めの小さい丸髷が載っている。これが声の主である。 何か盛んにしゃべっている。石田は誰に言っているかと思って、自分の周囲を見廻したが、別に誰もいない。石田の感ずる所では、自分に言っ・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・そして、五号の部屋の障子の破れ目から中を覗いてみたが、蒲団の襟から出ている丸髷とかぶらの頭が二つ並んだまままだなかなか起きそうにも見えなかった。 灸は早く女の子を起したかった。彼は子供を遊ばすことが何よりも上手であった。彼はいつも子供の・・・ 横光利一 「赤い着物」
出典:青空文庫