・・・文学者としての宿命を感じさせるような者もいないし魅力も乏しい。文学者として世に立っても、型が小さすぎる。やはり泣かない世代はだめなのだろうか。泣かない世代には泣かない悲しみの文学がありそうなものだが、しかし少数の泣かない文学も目下のところ泣・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・貧乏――そういったあらゆる惨めな気持のものに打挫かれたような生活を送っていたのだったが、それにしても、実際の牢獄生活と較べてどれほど幸福な、自由な、静かな恵まれた生活であるかを思って、自分はなお自分の乏しい精力で、自分だけの仕事をして行こう・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・――平気なんだったら衛生の観念が乏しいんだし、友達甲斐にこらえているんだったら子供みたいな感傷主義に過ぎないと思うな――僕はそう思う」 言ってしまって堯は、なぜこんないやなことを言ったのかと思った。折田は目を一度ぎろとさせたまま黙ってい・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・これが人の運命だろう、その証拠には自分の友人の中でも随分自分と同じく、自然を愛し、自然を友として高き感情の中に住んでいた者もあったが、今では立派な実際家になって、他人のうわさをすれば必ず『彼奴は常識が乏しい』とか、『あれは事務家だえらいとこ・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・この有様でもお秀は妾になったのだろうか、女の節操を売てまで金銭が欲い者が如何して如此な貧乏しい有様だろうか。「江藤さん、私は決して其様なことは真実にしないのよ。しかし皆なが色々なことを言っていますから或と思ったの。怒っちゃ宜ないことよ、・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・上来のいましめはイデアリストに現実的心得を説くよりも、むしろリアリストに理想的純情を鼓吹することをもって主眼としてきたものだけに、現実生活においてなるべく傷を受けないように損をしないようにという忠告は乏しいのだ。実際イデアリストの道は危険の・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・しかし、出てくる軍人も戦争の状景も、通俗小説のそれで、ひどく真実味に乏しい。それに、この一篇の主題は戦争ではなく浪子の悲劇にある。だから、ここで戦争文学として取扱うことは至当ではないが、たゞこれが当時の多くの大衆に愛誦された理由が、浪子の悲・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・私はまた、水に乏しいあの山の上で、遠いわが家の先祖ののこした古い井戸の水が太郎の家に活き返っていたことを思い出した。新しい木の香のする風呂桶に身を浸した時の楽しさを思い出した。ほんとうに自分の子の家に帰ったような気のしたのも、そういう時であ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・どこのカフェにも、色気に乏しい慾気ばかりの中年の女給がひとりばかりいるものであるが、私はそのような女給にだけ言葉をかけてやった。おもにその日の天候や物価について話し合った。私は、神も気づかぬ素早さで、呑みほした酒瓶の数を勘定するのが上手であ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・相変らず、品が乏しい。やっぱり、また、烏賊と目刺を買うより他は無い。烏賊二はい、四十銭。目刺、二十銭。市場で、またラジオ。 重大なニュウスが続々と発表せられている。比島、グワム空襲。ハワイ大爆撃。米国艦隊全滅す。帝国政府声明。全身が震え・・・ 太宰治 「十二月八日」
出典:青空文庫