・・・これを借りてもいいのかい」「善さんのことですもの。ねえ。花魁」「へへへへへ。うまく言ッてるぜ」「よくお似合いなさいますよ。ほほほほほ」「はははは。袖を通したら、おかしなものだろう」「なに、あなた。袖をお通しなすッて立ッて・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・一家の経済は挙げて夫の自由自在に任せて妻は何事をも知らず、唯夫より授けられたる金を請取り之を日々の用度に費すのみにして、其金は自家の金か、借用したる金か、借用ならば如何ようにして誰れに借りたるや、返済の法は如何ようにするなど、其辺は一切夢中・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・剰え、最初は自分の名では出版さえ出来ずに、坪内さんの名を借りて、漸と本屋を納得させるような有様であったから、是れ取りも直さず、利のために坪内さんをして心にもない不正な事を為せるんだ。即ち私が利用するも同然である。のみならず、読者に対してはど・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・はたしてこの戯言は同氏をして蕪村句集を得せしめ、余らまたこれを借り覧て大いに発明するところありたり。死馬の骨を五百金に買いたる喩も思い出されておかしかりき。これ実に数年前のことなり。しかしてこの談一たび世に伝わるや、俳人としての蕪村は多少の・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ぼくは杭を借りて来て定規をあてて播いた。種子が間隔を正しくまっすぐになった時はうれしかった。いまに芽を出せばその通り青く見えるんだ。学校の田のなかにはきっとひばりの巣が三つ四つある。実習している間になんべんも降りたのだ。けれども飛びあがると・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・彼女は東京に出て、墓地を埋めて建てた家を知らずに借りて住んだ。そこで二人目の子供を産んで半月立った或る夕方、茶の間に坐っていた女がいきなり亭主におこりつけた。「いやな人! 何故其那に蓮の花なんぞ買いこんで来たんだよ、縁起がわるい!」・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・と言って、借りて差したこともたびたびある。 光尚に阿部の討手を言いつけられて、数馬が喜んで詰所へ下がると、傍輩の一人がささやいた。「奸物にも取りえはある。おぬしに表門の采配を振らせるとは、林殿にしてはよく出来た」 数馬は耳をそば・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・他人のを借りて来たんです。もうじき、僕も貰うもんですから。」 子供らしくそう云いながら、室の入口へ案内した。そこには佐官以上の室の標札が懸っていた。油の磨きで黒黒とした光沢のある革張りのソファや椅子の中で、大尉の栖方は若若しいというより・・・ 横光利一 「微笑」
・・・それよりも、初めから落ち着いて宣伝のできるように、どこかに会場を借り聴衆を集めて演説するとする。父の情熱は純粋であり、考えも正しいが、しかし残念ながら極めて単純である。情熱、確信という点においては聴衆以上であるとしても、話すことの内容は反っ・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫